堕神の宇宙−2 水色真珠

「欠けたる力」

黒いごつごつとした岩のような背の高い螺旋回廊の塔。

シールクスの強大な武力を誇示する威圧的な武器を思わせる宮殿だった。

宮殿に二柱の神々を伴いアンジェリークが現れると

ローランが慌てて駆け寄ってきた。

だが炎神と水神を目にするや声もかけられずに平伏してしまう。

宮廷の家臣も召使も一様に同じだった。

炎には強大すぎる力に畏怖を覚え、水には初めて目にする優美への憧れを覚え

平伏しながらおずおずと垣間見る。

二柱の神を案内しながらアンジェリークは自分もそうしたいと

つくづく思っていた。

あまりにも神の力は強く気高く神聖で案内していても身が震えてならないのだ。

水神に助けられた少年だけが今も、その水色の衣の裾に取り付きながら

あたりをキョロキョロと眺めていた。

宮廷などとは無縁な少年を連れて来るのは判断に迷うところだったが

村に置いてくれば帰ってきた村人達に受け入れられまいと思い連れ帰ってしまった。

そこで淘汰されるような弱い者は、それまでのものなのだと以前なら捨て置いた。

それが今までの自分の判断にはない選択をし自分自身もとまどっていた。

シールクスの女王は強くなければ務まらないのに自分は弱くなってしまったようだ。

不安が込み上げてきた。

だが表に出せない。苦しかった。

 

村の少年を召使に預けて謁見の間に入り周囲の者達から切り離され神々とだけになると

気だけで保っていたものも崩れそうで思わず壁によりかかった。

「ごめんなさい。私…、私、変なのです。弱くなってしまった。

少年兵を切り捨てても平気だったのに今は胸が痛くて…張り裂けそう。」

ふと優しい香りに目を開くと水の神の深い海色の瞳が優しい色をたたえていた。

その瞳が自分を弱くしているのだ。思って、慌てて身を避けると炎の神の腕の中にいた。

この方なら、自分を強くしてくれる縋り付くように目を上げると

全てを焼き尽くす高温の炎の瞳にも厳しいものはどこにもなかった。

水の神の透き通るように白い指先が空を滑ると水の輪が出来た。

やがて輪は白い冷気を発して雪の結晶のように姿を変えた。

炎の神はニヤリと笑うとアンジェリークに問うた。

「お嬢ちゃんは、あれが綺麗だと思うか?」

空中のきらめく結晶は、とても美しく思えた。

「だが、手を出しちゃいけない。あれに触れれば君の可愛い手が裂ける。」

炎の神は巨大な火炎を吹き上げた。

「恐ろしいと思いますか?」水の神は優しく美しい声で問うた。

それは今にも焼き尽くされそうで恐ろしさに身がすくみ、

いつの間にか目じりに涙がたまっていた。

「ですが、あれは凍える体を温め、煮炊きをする火と同じものです。」

目じりの涙を水の神が指でぬぐってくれた。

「あなたの中に水がある。」

そっと炎の神がすくんだ体を抱きしめた。

「好きな男に触れられると体温が上がるものだ。

それは君の中の炎だ。」

並んだ二人の神は、あくまで対象的だった。

逞しい鍛えぬかれた体、シャープな顔の自信に満ちた不敵な瞳。

ゆるやかで優美な姿、儚げな面立ちの中の慈愛に満ちた優しい瞳。

「強さは優しさがなければ暴力だ。だが優しさがあれば力は人を救う。」

「優しさは強さがなければ惰弱です。ですが強さがあれば人を救う力にもなります。

本来2つはお互いがあってはじめて成り立つのです。」

炎の神はアンジェリークを引き寄せると自分達の間に立たせた。

「この星には炎の力しかなかった。君も今まで炎の力しか知らなかった。

アンバランスな精神を強さだと錯覚していた。

だが違う。真の強さとは全てを愛し包み込むものなんだ。

俺のようにな。」

髪にキスされて圧倒的な力に眩暈を起こしたアンジェリークを水の神が支えた。

「アンバランスな精神は正常な発展を生みません。一つの力に偏ることにより

無理がたまり世界は崩壊へ向かっています。邪人が生まれるのも、そのせいなのです。」

炎の神は小さな炎の塊を自分の胸の中に吸収した。

「俺は過剰な炎の力を引き上げに、

ヤツは枯渇しきった水の力を注ぎ世界を癒し潤しに来たんだ。

でも安心しろ、君の俺への燃える想いは引き上げはしない。

俺への愛は、いくらあっても大歓迎だ。」

揺れていた心が落ち着き体が起こせるようになった。

「しかし世界のバランスは私達だけでも保てません。

ただ第一段階として、一番の極端な部分を正すために使わされてきたのです。」

アンジェリークは驚いた。神を使わすとは、どんな存在なのかと。

同時に巨大な存在を恐れた。

自分が守らなければ統治しなければならない国をどうされるのかと。

 

炎神が小さなクリスタルの板を床に置くと柔らかな光と共に

可愛らしい少女が現れた。

金色のフワフワした巻き毛、大きな緑の瞳。

同じ歳くらいだろうに、いかつい自分とは大違いの存在だった。

だが、見かけ通りの可愛いだけの少女でないことは

背中の黄金に輝く翼が圧倒的な力を放って語っていた。

「初めまして、アンジェリーク。あなたもアンジェリークなのですってね。

私もアンジェリークっていう名前なのよ。」

その時、なんとなく吉兆と言われたわけがわかった気がした。

「私達の宇宙は今ちょっと困っているの。

それは、あなた方の宇宙から発せられる壊滅前の宇宙の悲鳴みたいなものが、

こちらまで響いてきて世界を正しく発展させるための力を

宇宙の必要な場所に送るのを邪魔しているのよ。」

アンジェリークの膝が震えた。自分より背の低い綿菓子のような少女の言葉が恐ろしかった。

「も…申し訳ありません。ど…どうかお許しください。私達これしか生きようがないんです。

ど…どうかお慈悲を…。」

どんな手強い相手にも使ったことのない言葉がでて、膝をついた。

自分達の宇宙が壊滅しかけている。しかも、それは迷惑を与えているのだ。

自分がこの女神なら他に考える余地なく消し去るだろう。

だがアンジェリークは消し去られる側の統治者、なんとしても慈悲を請うしかない。

すると水神の白い手がアンジェリークを支えて立たせた。

「驚かせてしまってすいません。どうか勘違いしないで下さい。

私達は、ここを助けるために来たのです。」

炎神がウィンクした。

「さっき言ったろ、バランスをとりに来たって。

消すために来たんなら、こんなヤツ連れて来ない。

俺だけで十分だ。」

水神を嫌そうに指さす。

その様子を見て笑いをもらす少女神はアンジェリークに言った。

「いっつもこうなのよ、この二人。あなたにも迷惑かけてしまうけど

面倒みてやってね。そちらの状況を見極めたら、こちらの時間を止めて

そちらに全ての力のバランスがとれるように他の者も送るから。

とりあえず二人の調査に協力してね。お互いのためだし、いいでしょ?」

時間を止めることさえ出来るという少女神に友達か何かのように声をかけられて

呆然としたアンジェリークは何故助けてくれるというのか問うことも出来ず、

こちらの宇宙も支配したいのかと思ったが、

それでも生かしておいてもらえるならとコクコク頷いた。

 

まず水神と炎神は過去のことについて調査したいと言い出した。

「まずは書物をあたりましょう。アンジェリーク、図書館はどちらですか?」

アンジェリークは申し訳なくてうつむいた。

「あの…書物って、ほとんど残っていないのです。

本を読んでるヒマがあったら戦って奪ってくるものだと…。」

二柱の神は顔を見合わせた。

「遺跡でも探した方がよさそうだな。お嬢ちゃん、案内を頼むぜ。」

かつてローランと遊び場にした遺跡をいくつか思い浮かべつつ

アンジェリークは答えた。

「はい。ですが…お嬢ちゃんはご勘弁願えませんでしょうか?

そんなに親しげに神様がお呼び下さいますと恐縮でなりません。

アンジェリークでは女神様と同じで恐れ多いですから

せめてミーランとお呼び下さい。私の家族名です。」

神々は顔を見合わせると小さく笑った。

「私達も神様では困ります。私はリュミエールとお呼び下さい。

こちらはオスカーです。」

「さっきの、お嬢ちゃ…いや、先ほどの方は俺達の宇宙の女王陛下。

俺達、守護聖を統べる偉大な方だ。

アンジェリークだなんて親しげに呼べる方じゃないから紛らわしいことはないぜ。

それにせっかくの吉兆なんだしアンジェリークでいいさ。気にしないことだ。」

親しげでないようには見えなかったけれど…と思ったが

守護聖だか何だかはよくわからないけれど

神に等しいことには変わりあるまいと大人しく頷いた。

「では、参りましょうか。」

リュミエールがゆるく首をかしげて問うと、

まるで清らかな川の流れのように髪が流れた。

まるで偶然の動きでさえ美しさを司る神が渾身の心配りをしたように美しい。

頷く炎神と二人でアンジェリークの手をとるとフワリと白い翼が広がった。

「手を離すなよ、お嬢…いやアンジェリーク。」

炎神が言うと体が軽くなった気がして空へ向かって浮き始めた。

天窓をくぐって舞い上がると眼下の緑の中に宮殿が小さく見えて

小鳥達が群れ飛んでいる。

澄み渡った空を蒼白な夕月が大きく見えるほど高く

神々に手をとられて飛んでいる。

息が止まりそうに胸が高鳴って、不思議な神話の世界に迷い込んでしまったかのように思えた。

 

 

**** 水鳴琴の庭 ****