堕神の宇宙−1 水色真珠

「守護聖降臨」

家畜の群れる遊牧地と田畑に囲まれて白い街道がなだらかな丘をうねうねと続く肥沃な土地の全てが、

第3代とは言っても世襲のものではないが、シールクス皇国の女王アンジェリークのものだった。

それは冨と権力を彼女にもたらしたが、同時に責任であり枷でもあった。

アンジェリークはボンヤリと騎乗から見ていた景色を頭からしめだすと

責任を果たすため自分の心に枷をはめる。金色の瞳に力強い輝きがうかぶ。

細い腕には信じられないような豪剣をにぎりしめ、赤銅色の肌に長くクセのない黄金の髪をもつ女王は、

防護壁を壊そうと押し寄せる敵兵の中に突っ込んで行く。

立ちはだかる相手は百戦錬磨の騎士であろうが、

17才のアンジェリーク自身より歳若い新兵であろうが容赦なく切り捨てる。

シールクスの女神は、そうして国を守った。おそらくこれからも。

 

領地の見回りにでた女王は馬上で静かな時間を楽しんでいた。

日差しは柔らかく街道に舞う砂埃さえもキラキラと目を楽しませる。

豊かなシールクスには他地方から、ありとあらゆる物資が集まる。

砂埃は他の地方から来た異邦人の踊りだ。その荷に着いていた砂であろうから。

この惑星ガイラのシールクス以外の土地は砂漠か石の土地なのでよけいに、

そう思えるのかもしれない。

側近のローランが慌てた様子でやってくるのを見て馬を留めた。

この女王になる時に特別にとりたてた同じ歳の幼なじみの側近は、

アンジェリークほどではないが腕も立ち、アンジェリーク以上に頭がいい。

生真面目だが判断は正確で、あまり慌てた様子など他人に見せた事が無いのだが。

「どうした、ローラン。犬のダンスでもみたか?。」

「このような時に御冗談をおっしゃらないで下さい!大変です。邪人が出たのです。

いそいで陛下の力で倒して下さい。」

と言いながら側に馬を寄せてきたローランは小声でアンジェリークにささやいた。

「あれは、巨大すぎます足止めだけで無理をなさらないで下さい。

すぐに兵を整えて駆けつけますから。」

アンジェリークも小声でかえす。

「無駄な事はするな。いくら兵を集めても邪人と戦えるのは私だけだ。」

ローランの青い瞳に苦渋の色が浮かぶ。

金糸の髪が震えアンジェリークが羨む白い肌色が青ざめて感じる。

「女王。いや、アンジェ。君を失えば俺は…。頼む、約束してくれ。ムチャはしないと。

魔術師達に結界を張らせる、出てこられないように。

一つの村が土地が使えなくなっても君を失うより、ずっといい。

それは俺だけじゃなく民も同じはずだ。」

「わかった。無理はしない…。ローランも気をつけて。」

アンジェリークは頷くと泣きそうな顔をひきしめローランの来た方に馬をとばした。

ここガイラでは人が何かに取りつかれ邪人と呼ばれる異形に変わることがあるのだ。

遠き過去、神々がいた頃の邪神の呪いと言われているが真実はわからない。

ただ、アンジェリークに限らずガイラでは、女性だけが邪人を倒す力を持ち代々の王位につく。

生まれではなく能力が王位の条件なのだ。

げんにアンジェリークも去年、前女王の力が衰え次代の女王として選ばれるまでは、

腕はたったが、ただの警備兵だった。

 

悲鳴と物が焼けこげる臭いの中、必死に馬をとばして避難の人々の間を逆走し

村につくと村中が激しく壊されており、うろたえ逃げまわっていた人々は口々に助けを求める。

彼女はなぜだか込み上げる吐き気を押え込み、人々に剣を掲げて力を誇示することで落ち着かせると

ローランが部隊を整えてやってくるであろう街道沿いに逃げるように指示した。

そして若干17才の少女はたった一人で荒れ果てた村に乗り込んだ。

全身にソースとケチャプを塗りたくったように腐り崩れた8本の鼻を持つ巨象でもいたら、

こんな感じだろうかと思う。

そんな邪人が一匹暴れまわっていた。

あたりに胸が悪くなるような異臭を放ち、家屋を力任せになぎ倒す。

腐った体液は石さえも溶かし、田畑の緑は灰色になる。

その邪悪さはローランの言うように今まで倒してきた邪人とは、桁外れのものだった。

これら邪人に剣などの武器は通じない、アンジェリークは剣を大地に打ち立てると頭を垂れて願った。

「我が名にて命ずる赤き炎の強さよ。邪なる者を焼き尽くせ。

聖なる炎よ、我の願いをかなえよ!。」

無理だろうと思った。今まで、祈りに対する反応は薄く相手を焦がす程度だったから。

それでも何回も祈るうちに倒す事は出来たが、この相手は大きすぎる。

とりあえず、ローランが来るまで持ちこたえようとしか思っていなかった。

だがその思惑は外れ、あきれるほど簡単に巨大な炎はやってきた。

邪人は瞬く間に焼き尽くされ人の姿に戻り倒れた。

幼い少年だった。

アンジェリークの目に大きな涙が盛り上がる。

人が来たら泣けない、だから今だけ…そう思った時

邪人を焼き尽くした炎の中から、その炎纏ったような巨大な人影が現れた。

「燃えている」それが錯覚で燃え上がる炎のような髪なのだと気づいた時

大きく逞しい腕に抱きよせられて涙の上にキスされていた。

「泣くなよ、黄金の女神。綺麗な瞳に輝くものは、お嬢ちゃんの俺への愛だけでいい。

もう大丈夫だ。お嬢ちゃんの笑顔は、この俺が守ってやるぜ。」

驚いて見上げると端正な顔から、

超高温で燃えているという神の炎のような蒼い瞳が見下ろしていた。

さらにその均整のとれた逞しい体の背には、

スラリとした身長に見合う一対の真っ白な翼があった。

アンジェリークは思わず軍神さながらの姿の前に跪いていた。

外見だけでなく、その体から溢れる力が

先ほど自分が祈り願った炎の力そのものであることに気がついたから。

この方は人ではない、神だ。

神がいた時代から降臨したのだろうか。

だから巨大な邪人も倒せたのだろうかと考えた時

ボンヤリと見とれていたアンジェリークの心に再び責任と言う枷が戻ってきた。

祈りによって体力をなくした身体で立ち上がろうと足掻くと、炎神はアンジェリークを抱きかかえた。

鎧をつけたアンジェリークはかなり重いはずなのに紙でも扱うような動作に

その力を考えて体に震えさえ来る。

「あ…あの。お…おろしてください。

あの子を埋葬し、不浄になってしまった村を焼き清めなければなりません。」

炎神は男らしい唇に魅惑の笑みを浮かべて、アンジェリークの髪を唇でたどる。

「お嬢ちゃんは俺の腕で憩う愛らしい小鳥だ。

後は奴に任せとけばいい。」

その言葉に少年の方を見て、息が止まった。

炎神とは違う美しさの神が、少年の体の上にういていた。

炎神の猛禽類を思わせるシャープな翼と対称的な白鳥のような優美な翼、

慈愛に満ちた海色の瞳に流水のごとき水色の髪、

ローランと比べる事さえ恐れ多い月の光を思わせる抜けるような白い肌。

雪を纏う山河のような、神秘をたたえる月夜の湖のような

水色の神だった。

際限なく溢れる慈愛の力が少年に降り注がれる。

その力はアンジェリークの知らない力だったが炎神のものと同質のものだった。

アンジェリークが息を止めて見つめるうちに、少年の体は癒えていった。

そして舞うように細くしなやかな腕を広げると、

聖なる光雨。蒼い幻の雨が地を洗い清めあたりを包む。

壊された家屋も踏みにじられた畑も邪人の体液に汚れた全てが雨の癒しを受けると

村は、聖なる地に変わる。

アンジェリークは、その思わず瞳を閉じた。

暖かく優しいものが身体中にしみわたる。

無理矢理に押し殺してきた何かが癒されるようで温かな涙が溢れて止まらなかった。

 

やわらかく微笑んで水色の神は少年を助け起こした。

少年は、天上界の神聖なもの高貴なもの美しいものだけを選りすぐってつくられたような相手に

ただただ目を見開きながらもアンジェリークと同じ力を感じたのか、

母に甘えるように衣の裾に取り縋って水色の神の後をついてアンジェリーク達のところへやってきた。

清涼な空気を纏う水色の神は近くによると意外に長身だった。

アンジェリークは神が細身だが、決して女性ではない事に気づいて驚いた。

ここガイアには優美で流麗な男性は…いや存在はない。

女性の自分だって憧れてはいるが、実際は全然と言って良いほど程遠い。

炎神がニヤリと笑う。

「よう!ごくろーさん。悪かったな手間かけさせて。お嬢ちゃんと仲良くなりたかったもんだからな。」

水色の神は美しい顔に悲しみの色を浮かべる。

「そのような理由で、この星を窮状に追い込む行為をするわけはないと思うのですが?。」

なんとなくアンジェリークは2柱の神が、あまり仲良くないのではないかと思った。

炎神は肩をすくめるとアンジェリークの耳に少女にとっては、あまりに甘い唇を寄せささやいた。

「今度、さっきみたいな事になったら、炎じゃなくて水に全てを癒すように頼んでくれないか?。

そうすりゃ、奴に手を借りて手加減しないでも邪人が浄化の炎で再生の地に送られちまうほど

焼かれることはないから、葬式出す心配もしないですむし。

さらに、おキレイな水神様は清めまでやって下さるから、お嬢ちゃんもラクだしな。」

なんとも、自分には似つかわしくない「お嬢ちゃん」と呼ばれて名乗ってさえいない事に気がついた。

「あの…私は、アンジェリークです。お嬢ちゃんではありません。」

軽く言ったつもりなのに、神々の顔に驚きがはしった。

「驚いたな。お嬢ちゃんの名前はアンジェリークか!?」

「これは…なにか意味があるようですね?。」

その様子にアンジェリークは不安を感じた。

「なにか、いけませんでしたでしょうか?。」

アンジェリークの不安はフンワリと水神の海色の瞳に受け止められた。

水神がゆるく左右に顔を動かすと水色の髪が、水が流れるように優美に宙を舞った。

「いいえ。これはきっと、吉兆です。私は、そう思いますよ。アンジェリーク。」 

 

**** 水鳴琴の庭 ****