(前編)      水色真珠

 

さよなら…

それは永遠の別れじゃないの

時の果てに、きっと巡り合う約束の言葉

そのために今、未来を見つめて約束するの、さよなら…

 

ハンバーガーショップでボンヤリとコーラをすする

ヒカルの頭を流行りの歌詞がよぎっていく

今日の対局、なんど検討を繰り返しただろう

「頭いてぇ」

机の上のものをひとさらい一緒くたにしてバックパックに

投げ込むと肩に背負って店をでた。

五月の空は夢を溶かしたように青かった。

くさってばかりはいられない…。

 

手合いの日、棋院につくと大抵の人間がヒカルに声をかける

19歳になったヒカルは塔矢と共に名実共に囲碁界を背負って立つ

若手実力者の筆頭なのだ。

「今日は、和谷か…」

 

数時間後、ヒカルは和谷の「ありません」の声に

ようやく本来の笑いを取り戻す。

「ちぇっ、おまえ。打つ前とずいぶん違うぜ。」

和谷が石を片付けながら不機嫌そうにヒカルをにらむ。

「だってさ、こないだオレつまんない負け方しちゃったんだぜ。

もう自分で自分がやんなちゃってさ。」

口を尖らすヒカルに和谷は思わず吹き出した。

「じゃあ、ぶっとぶような面白いこと教えてやるよ」

ヒカルの様子をうかがいながら和谷はニヤニヤする。

「なんだよ〜?ど〜せ、つまんないコトなんだろう。」

へへ〜ん、ともったいぶりながら和谷は口を開いた。

「今年の新初段、蘇我・物部・大伴ってsaiの弟子なんだってよ。」

次の瞬間、ヒカルは碁笥をひっくり返して部屋から飛び出し

後片付けをせざるを得なくなった和谷は

大いにヒカルに話したことを後悔した。

 

頭が沸騰した。

棋院中を3人の新初段を探して駆け回った後

最後に、捕まえたのは本日最高に不運な和谷だった。

息を切らせながら和谷を問い詰める。

「さ…さっきの…話…ほ…本当…?

蘇我・物部・大伴って、どこにいる?どんな顔?」

棋院中を駆け回ってパニックに陥れた本人は

なんにも知らないまま、どうしようもない想いに駆られていたのだ。

これには和谷も良心が痛んだ。

進藤がsaiと関係あるのではないかというのは

ここ数年の対局で推測というより確信になっているし

おそらくウィークポイントである部分をつついてしまったのだから。

「あのな…落ち着いて聞けよ。蘇我・物部・大伴がsaiの弟子って

言ったわけじゃないんだ。あいつらの手筋とsaiを尊敬してるって話から

周りが勝手に言い出しただけなんだ。」

「はぁ?」

ヒカルが気が抜けた声と共に床に座り込む。

でも…でも…どういうことなんだ?

ヒカルを、言い知れない不快感と不安が苦しめた。

 

和谷と一階のロビーに降りていくと

ヒカルの脇腹を和谷の肘がつついた。

「おい、あいつらだぜ。新初段。」

和谷があごで示す方には、ヒカルよりやや年下であろう3人が談笑していた。

さっきの感覚がよみがえり思わず頭に血が上りかけるが

三人はヒカルの姿を眼にすると心底嬉しそうに顔を輝かせ

恭しく挨拶してきた。

「あの…お…お会いできて光栄です。」

カチカチに緊張した蘇我

「スゴイ…本物の進藤さんだ…」

うっとりとした眼に涙が盛り上がる物部

「ぼく…ぼく…」

物が言えない大伴

 

「なあ…進藤だけじゃなくて、オレもいるんだぜ?」

和谷の不機嫌極まりない声も三人の耳を素通りするのみだった。

 

ヒカルは三人に、「是非」と引き摺られるように料亭に連れてこられた。

この時点でヒカルからの注意で、やっと三人から上の空の敬意を払われたことで

プライドの傷ついた和谷はいなくなっていた。

後で自分が埋め合わせなければならない矛盾にヒカルは

先輩でなければ暴れだしたいところだった。

 

そんなヒカルの想いを他所に三人は相変わらず憧れの眼差しを向けつづける。

「んで?オレに何の用なんだよ?」

やや不機嫌なヒカルは早く帰りたくて話をうながした。

「あ…あの、ですね。僕達、あの夏休みにsaiとネット碁したことあるんですよ。」

「対局っていうより指導碁だったんですけど、何回か。」

「他の人と打ってるのも、みんなみました。」

ハッとしたヒカルの反応に、三人はうなづきながら顔を見合わせた。

「進藤さんは、saiの弟子なんでしょう?」

答えられなかった…

今まで、ずっとひた隠しにしてきたから。

「お…教えて欲しいんです!

進藤さんは、もっとたくさんsaiと打っているんでしょう?」

saiの棋譜を見せて欲しいんです。saiが進藤さんに教えたことを、

残したものを、僕らにも教え伝えて欲しいんです!」

残した…?何故、佐為が消えたことを知っているんだ。

ヒカルの疑問は簡単に顔から読み取れるほど顕著だったらしい。

「あの…塔矢元名人とsaiが打った後、しばらく碁から遠ざかって

いらっしゃいましたよね?」

「あの時は、わからなかったんですけれど。近年になってsaiの手筋を

進藤さんに見るようになって進藤さんを調べているうち思いついたんです。」

大伴は話し出すと意外と饒舌だった。

「っていうか、ぼく…その小児ガンだったんですよ。

病院から繋いでいたんですけれど。

あの…saiの出現の仕方が健康な人間じゃない気がして…

そして、進藤さんほどの人が打たないということが、どういうことか…

何を失ったのか…?もちろん想像の域ですが、あれ以来sai

二度とネットに現れていないことも含めて恐らく…と。」

遠くから大局的な眼で見てこそ感じ取れたことだったのかもしれない

ヒカルは思った。

三人の眼には大切なものを失った苦しさ、悔しさと悲しみが見えた。

「ボクは生きたいと思った。ガンに打ち勝てたのは

あの夏の日、saiからもらった碁への情熱のおかげだと思っています。」

「僕らだけじゃない、院生の中にも何人も指導碁を受けて

碁の楽しさに目覚め、この道を歩きだした奴がいます。」

「海外でも同じ仲間がいるんです。saiの碁から最強の一手、

最善の一手、真理を求める喜びを教わって高みを目指す仲間が!」

あの夏、毎日毎日、朝から晩まで何局も何局も打ち続けた…。

 

小さな機械の箱からヒカルの手を借りて佐為が蒔いた種は世界中で芽吹き、

光を、導きを、育っていくための力を欲していた。

ヒカルの中の不快感は完全に消えていた。

自分以外、知りえない思っていた佐為の存在。

自分だけが背負っていかなければならないと思っていた渡されたもの。

それは、そんな小さく生易しいものではなかった。

世界中に散らばり広がり、根を張り葉を茂らせ花を咲かせ実をつけようと、

沢山の芽を出し、導きの光、成長の糧を求めてきた…自分に。

それが…嬉しかった…。

 

20歳そこそこのヒカルが研究会を開くなんて

とても出来る話ではなかった。

こっそり、気の合う仲間の集会と称して区民センターの一室に

院生・国内外のアマチュア、20人弱が集まった。

驚いたことに去年のプロ試験合格者の多治比も同じ仲間で

一番の年長であることもあってヒカルをよく補佐してくれた。

集会では、あの夏の日それぞれが打ったsaiとの棋譜が回され検討が入れられ

なお覆しようのないsaiの強さに感動のため息、感嘆の声があがり

それは、色々な研究会所属者が参加しているがために

コピーされ他所の研究会にも流れた。

ヒカルも手合いのない日は、朝から晩まで

2年余りの間に佐為と打った、そして佐為と一緒に打った棋譜を書き続けた。

対局相手未記入のsaiの棋譜を。

毎日打ち続けた全てを記憶している自分が心底嬉しく誇らしかった。

いつしか集会は、影で「主催者不在のsaiの研究会」と呼ばれ

仲間内しか知らぬはずの集まりに緒方や和谷・伊角も顔を見せた。

それは、喜ばしいことであったが、さすがに門脇が顔を見せた時は、

まだ門脇と打った時の棋譜は書いていなかったとはいえ

おおいにヒカルに冷や汗をかかせた。

そしてコピーされたsaiの棋譜は、さらに多くの人の間に広がっていった。

 

半年近くかかって全ての棋譜を書き上げた頃

saiの研究会に驚愕の訪問者が訪れた。

「塔矢…。塔矢元名人…!」

この囲碁界の巨星とも言うべき親子は、

周囲の驚きを他所に何回も姿を見せ

ひどく懐かしい者と出会った眼差しで棋譜の分厚い束を

丹念に見、そしてヒカルにコピーを頼んだ。

ヒカルは、ヒカルの体を通して塔矢と打った棋譜もあったことを

思い出して慌てたが塔矢は何も言わなかった。

コピーされた棋譜は塔矢元名人と共に中国にも渡った。

やがて主催者不在の研究会は公認のものとなり棋院の一室で

開かれるようになった。

そして、saiを知らない、saiと打ったことのない人間の間にも

その強さは広がっていった。

インターネットにライブラリができ、対応言語は見るたびに増えていった。

棋院の資料室にもsaiの棋譜は収められた。

saiは正式に認められたのだ。

 

手合いで、研究会で、saiの研究会の仲間との対局は、

お互いに発見の驚きと喜びに溢れていた。

ぶつかり合うsaiの魂の欠片がせめぎあいによって

よりオリジナルに近く昇華しようとするかのように。

ヒカルは、一人では得られないほど多くのものを

他の多くの人と想いや考えを交わすことで手に入れた。

 

ヒカルにとって久しぶりに塔矢との対局だった。

対局中、ヒカルは自分の中に今までになく大きく佐為の存在を感じた。

そして自分の存在を感じた。

「ありません」

塔矢の声は、なぜか羨んでいるようだった。

あの小学生時代、海王中での決勝戦が終わった後の切なげな瞳を思い出した。

「今までの君は、saiの碁を切り張り散りばめたようだったけれど。

今日の君の碁は違う。今日の君の碁はsaiの碁ではない。

まるで光の粒子のようなsaiを纏いながら進藤ヒカルの碁だった。」

ヒカルの碁だった…

再び、小さく呟くと塔矢アキラは呆然としたヒカルを後に

立ち上がった。

芽吹き広がったsaiがヒカルにもたらしたもの

それが今日のヒカルの碁。

ヒカルは、塔矢の腕を掴んだ。

「ちょっと時間あるか?」

そう言いながら有無を言わさぬ様子に塔矢はうなずいて

ヒカルに付いて廊下を歩き出した。

「いつか話すって言ったよな…」

うつむいたヒカルの表情は影で読めない。

「昔、小学生のガキが成績が悪くて小遣い止められてさ…

じいちゃんの蔵に売れそうなものあさりに入ったんだよ…」

話しながら、ゆっくりと廊下を歩き階段を下り

ヒカルは塔矢に話しながら決して塔矢を振り返らなかった。

話し終わって、初めてヒカルは塔矢を振り返った。

塔矢は小さく頷くと全てを、そのまま自分の心に納めた。

何もコメントする必要はなかった。

ヒカルは、そんな塔矢の態度にいつも通りの笑顔をみせた。

 

 

 

階段を下りきってロビーが見えたとき

塔矢は、突然立ち止まったヒカルにぶつかった。

どうした?と問おうとヒカルの顔を見ると

驚きに見開かれたヒカルの眼から涙が溢れ出た。

だが、ヒカルは笑っていた。

そして、塔矢を振り返ると満面の笑顔をみせた。

「ライバルが、一人増えたぜ。」

嬉しそうな喜びに溢れた声だった。

だが、塔矢の眼に見えたのは、受付の人と話す母親らしい女性と、

その女性に手をひかれた、

一括りにした艶やかで長い真っ直ぐな黒髪の4〜5歳の少年らしき子供が、

扇子で熱帯魚のモニターをつついている姿だけだった。

 

さよなら…

それは永遠の別れじゃないの

時の果てに、きっと巡り合う約束の言葉

 

.14 12/30 

END

 

あとがき

なんていいますか、自分の生死観人生観ですね…

佐為は自分の碁ではなくヒカルはヒカルの碁を見つけて

ヒカルらしい碁を打って欲しいのではないかと思うのです。

ですから、あえて佐為に到達したヒカルではないものにしてみました。

それでも、ひとつになった部分はあえて引き剥がしたくなどありませんから

もっとより融合した結果を表してみたつもりです。

御持ち帰りOKですので

置いてやっても良いぞ、と御思いのサイトマスター様が

いらっしゃいましたなら、どうぞ御持ち帰りの上

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