平成幻想異聞録1

 

水色真珠

 

夏の日差しに焼かれた鉄板のようなアスファルトを這いずるように

棋院から帰ってきた進藤ヒカルを迎えたのは

厳しい顔つきの刑事だった。

 

折りよく母は留守だったので

部屋で話をした方がいいだろうと思い自室に通したヒカルだったが

なにやら躊躇いながら話し始めた内容に愕然とした。

「藤原佐為という人物は御存知ですか?」

初老の男が窺うような目で自分を見ながら言った時

明らかに自分は大きく動揺し顔色を失っていただろうとヒカルは思った。

それだけでなく、「なんで、その名前を知っている!?」

何時の間にか男につかみかかっていた。

なれた手つきで男はヒカルの手を外すと胸ポケットから写真を取り出した。

白い病室のような部屋、怯えたような眼差しで写真に収まっていたのは

烏帽子もなく狩衣ではなかったが、確かに佐為だった。

「苦労しましたよ、写真を撮ろうとすると魂が取られるとか

昔の人間みたいなことを言って嫌がるんでね。」

ヒカルが驚愕の目で写真を見つめるのを見ながら男は

白髪混じりの頭をかいた。

「写真を嫌がるのは何か疚しいところがあるんじゃないかって話も出て

さんざん調べたんだが何も出なかった。

前科どころか、親兄弟・住所・学歴いっさいが不明。

しかも、まるっきり本人の話は夢物語。

唯一の現実らしきものは君の名前だけだった。

それでダメもとで探りを入れにきたんだがヒットだったらしいね。」

ニヤリと口の端を上げた笑いもヒカルの意識には届かなかった。

「コイツ、どこにいるの?」

乾いた喉から少年のものとは思われないしゃがれた声が問い掛ける。

男はチラリと目をやってヒカルの人柄を値踏みする。

「ふつう、刑事が知り合いの写真を持ってくれば、何やったと聞くものなんだがな?」

写真から男へ向き直ったヒカルの目は、明らかに男の言葉を聞いていなかった。

「どこにいる!」

思わず刑事である男をもたじろがさせる語気に男は諦めたように名詞を取り出した。

「京都府警…アイツ、京都に…?」

5月の祭りで烏帽子に狩衣姿で京都御所の辺をぼんやり歩いていたんだ。

様子がおかしいんで職務質問したら言動がおかしくてね。身元を調べたんだが

さっきも言った通り何もかも不明。全国の行方不明人も調べたが該当者無し。

本人が言う事は平安時代の帝の囲碁指南役とか本因坊秀策とか、

訳のわからないことばかりなんでね。いつまでも閉じ込めて隔離しておくのも

人権に関わるし、ぜひ事情を教えてもらいたいね。」

男の御所という言葉がヒカルの記憶にひっかかった。

佐為が生きていた頃に住んでいたのは、そのへんだったんじゃないか?

曖昧な記憶をたどるが佐為から聞いたのは、大君とやらの前での試合でズルされて

負けた話だけなので歴史に疎いヒカルには何とも判断がつかない。

ヒカルは立ち上がるとモノも言わずに普段持ち歩いているバックパックを抱えて部屋をでた。

「お…おい!君?」

刑事は慌てて呼び止めたがヒカルは止まらなかった。

鍵もかけずに家を出た。

刑事は実直な人間だったらしく鍵のかかってないドアと走り去るヒカルを見比べ

諦め顔で同僚に電話した。訪ね先のヒカルが何かを知っていて、そちらへ向かっていると。

 

新幹線に乗ってからヒカルは、いきなり大声をあげて周囲の顰蹙をかった。

「あ〜!そうか!!平安ったら京都だったんじゃねーか!?

なんでオレ気が付かなかったんだろう?!」

佐為を探し回った時に京都も通り過ぎたのに

これっぽっちも考えつかなかった。

動転していたんだと自分を慰めても空しい風が心に吹く。

(でも、本当にいるのか?京都に…。今は誰に取り付いているんだ…?)

なりゆきで持ってきてしまった写真を取り出す。

(心霊写真…初めてみた…)

写真の中の佐為は入院患者が着ているような白っぽい浴衣のようなものを着ている。

(なんで今風なものを着てるんだ?)

何か肝心なことを見落としているような気がするが頭が回らない

どうしても何が見えていないのかわからない。

京都につくまで時間はあるのだからと刑事との会話を思い出しながら考える。

(えーと、いっさいが不明って言ってたよな…?

幽霊の親兄弟や学歴を調べようなんて京都の警察って…ヘンなの。)

そこまで考えて、もっとヘンなことに気が付いた。

(本人の話…とか言ってたよな?

あの刑事、佐為と話せたのか?つーか、見えたのか?

オレのことは佐為から聞いたのか?)

考えると、よけに訳がわからなくて眩暈がしてきた。

空いた座席に頭を抱えてぐったり座り込んだ時だった。

いきなり声がかかった。

「進藤!」

ガバッと顔を上げて前を見ると対面座席に座っていたのは

塔矢アキラと塔矢行洋だった。

偶然の恐ろしさに開いた口がふさがらない。

あわあわとするヒカルに二人は怪訝そうな顔を向ける。

「君も京都へ旅行かい?…にしては軽装だけど。」

何をどう言ったらいいか分からずに、あいまいに笑って誤魔化すと

私事に口をはさむことを嗜める行洋の視線で、それ以上

追求されることはなかった。

いきなり席を移るのも不自然だし、世間話や旅行の話に

適当に相槌を打ちつつなんとか京都へ辿り着いた時には

ヒカルは疲労困憊していた。

「それじゃあ、いい旅を。」

手を振って分かれた時には、心底ホッとした。

しかし、その時だった。間延びした男の声が

進藤ヒカルの名を連呼しているのが聞こえた。

塔矢親子も足を止める。

「君のことを探しているようだが?」

知り合いなんていないのに…呆然とするヒカルの前に

声の主の警察官が走ってきて腕をつかんだ。

「君、進藤ヒカルくんだろう?前髪が金髪って連絡があったからね。」

塔矢アキラが割ってはいる。

「待ってください!進藤はヘンなところはありますが

犯罪を犯すような人間じゃありません!」

どういう意味だよ!心の中で突っ込みながらヒカルももがく。

「ヘンなところは余計だけど確かにオレなんにもしてないぜ!」

警官は困ったように笑った。

「いや、違うよ。例の佐為さんのことで来てくれたんでしょう?

案内に来たんですよ。」

ヒカルは心の中で悲鳴をあげた。

後で塔矢親子が、どんな顔をしているか

振り返らずに分かってしまう自分が呪わしかった。

「進藤…ボク達も同行させてもらえないか?」

嫌とは言えない二人分のオーラがグイグイとヒカルを圧迫する。

(どうせ、見えやしないんだし適当に誤魔化すか…)

ヒカルはガックリとうなだれて頷いた。

まだ自分の見落としに気づくことなくヒカルは警官の後をついていった。

 

警官は病院に三人を案内した。

シーンとした白い病院の廊下を歩いていくと

いきなり静寂をやぶる悲鳴と物音が聞こえてきた。

「やめてくださ〜い!そんな面妖なものいやですぅ〜!」

その声を聞いた途端、ヒカルは勝手に駆け出していた。

声の出所である病室のドアを開けると修羅場の真っ最中だった。

ジタバタと暴れる患者と押さえる医者と看護婦。

「これは治療のための薬なんです。普通の薬です!落ち着いて!!」

なんとか注射を打とうとするが暴れる相手にどうにもならない。

だがヒカルには、そんな修羅場は目に入らなかった。

ヒカルの目に入ったのは長く艶やかな黒髪。

「佐為!」

ヒカルの声に暴れていた患者は目を見開いて固まった。

「ヒカ…ル?」

懐かしい強い輝きを秘めた黒曜石の瞳。

ヒカルは引き寄せられるように手を伸ばして伸ばされた手を掴んだ。

声が出なかった。ものが考えられなかった。その瞬間、

「きゃあ!」

医者が固まったところを逃すわけがない、佐為は突然打たれた注射に悲鳴をあげた。

「なにするんだ!」

ヒカルがくってかかるが佐為はクタリと力が抜けて倒れこむ。

「催眠療法で本当の記憶を探り出すんですよ。

妄想がひどいんで本当のことを調べるには仕方ないんです。」

傷だらけの医者が仏頂面で告げる。

ヒカルは必死に言い分けを探して頭を巡らせた。

「ちょ…ちょっと待ってよ!オレがコイツのことは知ってるから

後でちゃんと説明するからさ!」

警官が安心した様子で手を打った。

「よかった!やっぱり知り合いだったんですね。

じゃあ、さっそく調書をお願いします。」

内心、慌てつつもヒカルは嘆くように顔を伏せる演技をする。

「待ってください…久しぶりの再会だし、色々あって大変だったんです。

少し落ち着いてからにしてもらえませんか?

別にコイツだって犯罪者じゃないんですから。」

この言い分けに情が厚い警官は深く頷いた。

「そ…そうだね。じゃあ、また明日にでも事情は聞きに来ますよ。

今日はゆっくりしてくださいね。」

警官は敬礼すると医者と共に去っていった。

ヒカルはベッドに顔を伏せつつ言い分けを考え始めた。

だが背後の塔矢親子から追及の声がかかる。

「進藤くん、その人がsaiなのかね?」

ヒカルは思わず直立して立ち上がった。

「はぁ?!見えるんですか?」

しげしげと二人を見る。

何を言うかといった顔の塔矢親子。

(そうか!誰にでも見えるし聞こえるようになったんだ!

なんでか知らないが、そういうことなのか!

そういえば、警官や医者達にも見えてたんだもんな!)

状況をインプットすると、また高速で頭を巡らせ言い分けを探す。

(どーするかな?幽霊だって正直に言えば見えるんだから

信じてもらえるよな…ここは正直に言っちまうか。)

そこまで考えてヒカルは目にしたものにギョとした。

自分の手が佐為の手を掴んでいた。

感触がある。

今更ながら、ヒカルは自分が何を見落としていたのか気が付いた。

ヒカルの頭が言い分けどころか思考を手放してグルグルと回る。

頭の中から足先まで動揺で震えるのを隠してうなだれる。

「あ…あのな…、後で説明するから…今は、そっとしておいてくんないか?

頼むよ…」

ひどく動揺した声に塔矢親子は顔を見合わせると机の上にメモを置いた。

「ここに泊まっているから、落ち着いたら連絡してくれ。」

二人が立ち去ると、ヒカルは時間稼ぎに成功したものの限られた期限に焦った。

ポカ、佐為の頭を殴ってみる。

「ふへ?」

上手い具合に意識が戻った佐為を混乱しているヒカルは

引っつかむとぐ〜らぐらゆすった。

「ど〜すんだよ〜!なんて説明すりゃいいんだよ〜!

それより一体なにがどうなってんだよ〜!」

揺すりすぎて目を回している佐為を無理やり立たせると今度は締め上げた。

「説明しろよ!どういうこと…な…んだ…?」

そこに至ってヒカルは新たなる違和感を感じた。

「おい!お前、縮んだか?」

「な〜に〜言ってるんですか〜ヒカルこそ〜大きくなってます〜」

ハタと顔を見合わせてみると二人の身長差は逆転していた。

いきなりいじけて佐為は床に座り込んでのの字を書き出す。

「ずるいです〜ヒカルいきなり大きくなっちゃって〜」

ヒカルは思いっきり佐為の頭を殴った。

「いたいです〜!」「いってぇ!」

いままではありえないことだった。殴ろうが蹴ろうが佐為は触れなかった。

だが、いまは…。

「とりえあず、いじけてる場合じゃない!どういうことなんだ!」

佐為は浴衣の袖をパタパタさせながら説明しようとして固まった。

佐為を見つめるヒカルの目から大粒の涙がぼろぼろとこぼれだして止まらない。

「ばかやろ…オレ、お前を探したんだぞ。因島とか本妙寺とか棋院とか

机の下とかゴミ箱とか自販機の下とか八百屋の店先とかケーキの中とか…。」

後半はウソである。つまらない八つ当たり&言いがかりだ。

それでも神妙な顔で目を潤ませながら畏まっている佐為をヒカルは

しっかり抱き締めた。

「どこにもいくな。いかないな。絶対行かせないからな。」

「で…でも、いいんですか?ヒカルあんなに迷惑そうだったのに…。」

「わからなかったんだよ。お前が、どれくらい大事か。オレ自分のことばっか考えてて…

お前が帰ってくるならって碁を止めようと思ったこともあるんだぜ。」

その想いの切羽詰った苦悩を直に感じて佐為は息を呑んだ。

「でも、でも、当たり前ですよ!私こそワガママばかり言って

碁を打つことしか考えていなかったんですから!」

以前同様の大人気なく大泣きする佐為にヒカルは噴出した。

「オレ達、少しは大人になったのかもな。」

「私は最初から大人です!」

「ウソつけ!お前どうみても同じ歳くらいにしか見えないぞ!」

目線を合わせるとヒカルの方が高い。

「おかしいなぁ。前は塔矢元名人や緒方先生と同じくらいだったのに。」

「あ〜!わかりました!これは私が蘇ったのと関係あるんですよ!」

ヒカルは胡散臭げ〜な目で佐為を見た。

「蘇った?んなことあるのかよ。」

「じゃあ、ここにいる私は何だって言うんです?」

佐為は頬を膨らませた後、話し始めた。

 

.15 7/23

END

 

あとがき

佐為ちゃん転生パターン第2弾コメディ編です〜♪

「絆」がコメディじゃないとは到底いえませんが

また別のコメディです〜(^-^;)

切なさ激減、ひたすら元気で笑えるHAPPYなお話です。