遥かなる時を超えて
8「遥かなる時の
replace」 水色真珠
母親の神子が入院してから佐為は一時的に塔矢家に預けられた。
ヒカルがどうしても自分の家にとゴネたのは言うまでもないが
碁を打つ環境の差でアキラが押し勝った。
そこでヒカルも塔矢家に押しかけ師弟揃って世話になることになり
収まったかに見えたある日、事件は起こった。
「ゆるさーん!お父さんは許しませんよ!二人で海外へ出かけるなんてー!」
棋譜をバリバリに噛み砕きながら狂ったネコのように暴れるヒカルを
アキラはため息交じりで見放した。
「君が非難したいのは、うちの父であって、君はお父さんではないし
もう二人は海外なんだが…?」
冷静なアキラの言葉が気に障ったのかヒカルはますます猛り狂う。
「くそ〜っ!誘拐犯め!帰ってきたら狙撃してやる〜〜〜!!」
「だから…うちの父なんだが…そこまで言うのかい…?」
だがアキラの言葉は届いていないようだ。
ヒカルは必死に110番を電話帳で調べている。
一人でアキラは神子の病院へ見舞いに行った。
佐為がいる時は顔を見せるためという口実があるが
いない時はどうしたものかと思ったがヒカルは干渉する余裕がないようだし
ちょうどよかったのだ。
ヒカルとアキラが、そんな悲喜劇を演じている頃
まんまと出し抜いた行洋は佐為と飛行機から下界を見下ろしていた。
韓国の大会に特別枠で参加する行洋は、
大会参加者たちから強く頼まれヒカルには黙って佐為を連れ出したのだ。
それというのも行洋の家で自由にネット碁をするのを許したため
その並外れた力で海外に知れ渡り大騒ぎになってしまった
その原因は自分にもあると思ったし、この天才を自慢したい
そんな親ではないが親バカ的な気持ちからだ。
「うわ〜。きれいですぅ。お家も道もみんな小さいですぅ。」
キャビンアテンダントのお姉さんから貰ったポケモングッズ一式を抱きしめながら
下界を眺め下ろして感激しまくる佐為に、ふと行洋は思った。
転生する前の君ならなんと言ったのだろうか…と。
だが以前はヒカルの中にいて千年前の人物とは聞いていても
細かな事情や性格までは聞いていない行洋には恐らく今のセリフと大差ないことを
言ったであろうことは考えが及ばなかった。
到着まで窓側に大騒ぎする佐為を座らせてポケット囲碁盤で碁を打ちながら
行洋と佐為は和んでいた。
空港に着くと秀英と楊海が並んで待っていた。
どうやら佐為に会えるのが待ち遠しくてたまらず迎えに来たようだ。
行洋に手を引かれて小さな姿が現れると、
その可愛らしさもあって驚きに目が見開かれた。
「塔矢先生。この子が本当に今ネット碁を騒がせている
saiなんですか?」あんぐりと口を開けて楊海が問う。
ネット碁で対戦したこともあるし情報も聞いている。
だが本人を目の前にして、やはり戸惑わずにはいられない。
これが佐為。
かつての
saiと同じHNで本人ではないかと囲碁界を騒がせているのが少年とは聞いていたが、こんなに幼く愛らしいとは…。声が出なかった。
「はい。新藤佐為です。もうすぐ、七つになります。」
小さい頭がペコリと下がると慌てて楊海や秀英も頭を下げる。
度量の広い彼らは日本語も日式のやり方も心得ている。
まして、こうも愛くるしい子供相手ではサービスもしたくなるものだ。
「まだ時間は早いし、どこか回りましょうか?」
秀英が車を走らせながら言うと行洋は首をふった。
「いや、市内観光より碁が第一だよ。
会場へ向かってくれたまえ。」
佐為がニッコリ笑って行洋を見上げた。
楊海も秀英も佐為の満面の笑みに幼いながら
佐為が根っからの碁打であることを再確認した。
会場のホテルに着くと大騒ぎになった。
行洋の参戦自体も大きなことなのに最近ネット碁で各国のプロに連戦連勝の
sai
が来ているというのだ一目でも見たい話したいと思わぬ者などいない。「
saiは、かつての伝説のネット棋士saiの子供だって本当か?」「本人って言う噂もあるぞ。」
投げかけられる質問に行洋は苦笑せずにはいられなかった。
肯定も否定も出来ぬまま佐為を前に出すと新聞のカメラマンも写真を撮るのを忘れた。
雪白の肌に映える真っ直ぐな長く艶やかな黒髪をもち
黒曜石のような美しい大きな瞳をくりくり動かすあどけない佐為。
みな呆然として見つめた。
韓国の棋士が喉の奥でうめいた。
「塔矢先生。この間オレが負けたのが、この子なんですか?」
秀英も楊海も同情を禁じえなかった。
自分達も負けた後に調べに調べて行洋に行き着き、
電話して話を聞いても信じられない思いだったし
空港で出迎え、姿を確認してなおさら信じられなかった。
だが、行洋は特に碁に関して冗談は嫌いだ。
行洋が言うのだから、それは事実なのだ。
受け入れるしかない。
どうしても信じきれない者たちが対局を挑んできたが
小さな佐為の恐るべき一手に翻弄されるだけだった。
大会が開始されるまで、佐為によるパニックは続いた。
さすがに大会が始まると静まり返り、皆の注目は対局に集まった。
もちろん佐為も同じだったが大人が前にいるので見えない。
諦めて空いている盤を見つけて相手を探すが
大会に参加していない者は棋力に自信が持てぬのか
saiと知って尻込みしてしまう。つまらなくなった佐為は会場のホールを離れてホテルのロビーに下りてきた。
するとロビーの一角で子供が集まっていた。
子供といっても10〜13歳だろうか年上だが
その子達がやっているのが碁とあっては黙っていることなど出来ない佐為だった。
ひょいと首を突っ込むと大柄な少年と、
ひどく尊大に構えた痩せぎすでメガネをかけた少年が打ち合っていた。
大柄な少年の額にじっとりと汗がしみ出している。
対する少年はいかにも賢そうな瞳をして薄っすらと笑っていた。
その背後には4〜5人の少女達がはりついている。
「やっぱりアッキーの勝ちね。」
「だって、私たちは少年囲碁大会地区優勝ていどだけど、
アッキーは桁外れにレベルが高いもの。」
大柄な少年が頭を下げるとアッキーと呼ばれた少年は見下した顔で立ち上がった。
そして悔しそうな大柄な少年と仲間たちに韓国語で言った。
「最近は韓国の方が碁のレベルが高いって聞いたんですけれど
そうでもないんですね?修学旅行先が韓国で期待して来たんですけど。」
大柄な少年たちの顔が引きつった。
回りの少女は痩せぎすの少年の回りで、さかんに褒め称える。
「や〜ん。アッキー格好いい〜!」
「さすがアッキー。少年囲碁大会日本一の天才ね。」
周囲の雰囲気など佐為にはわからない。
大柄な少年が石を片付け席を立つとポンと、そこに座りアッキーと対峙した。
「次、私と打って下さい!」
バカにした顔でアッキーは立ち去ろうとしたが、少女達はついてこなかった。
「きゃー。可愛い!」
「キレイな子ね〜。髪の毛サラサラよ〜。」
小さい手を振り回し打って打ってと騒ぐ佐為は少女達の人気を一身に集めていた。
ずる賢そうなクールさを裏切る表情を一瞬表してアッキーは椅子にドスンと座った。
普段の彼らしからぬ粗暴な動作に少女達が驚くのも気に留めず碁笥の蓋を開ける。
「ふん。打ってやるよ、チビ。後悔するな。」
脅しのこもった低い声にも、打ってもらえる喜びに大はしゃぎの無邪気な佐為は
対峙する少年の怒りを倍増させたことに気が付かなかった。
数手打てば大体の力はわかる。
今度は額に汗をにじませるのはアッキーの方だった。
少女達も声もでない。
小さな少年に互角に打たれている。
油断出来ない余裕もない。
大柄な少年達が、この興味深い対局を知らせるべく階上の大会会場に向かった時
突然アッキーが叫んだ。
「お前。今、石を誤魔化したな!」
ふるふると首をふる佐為に詰め寄る。
「見てたんだぞ!碁笥に混じっていた石を自分のアゲハマにしただろう!」
大柄な少年達の報告で大人が駆けつけて騒ぎは大きくなった。
いたのは少女達だけだが、どうにも証言が頼りない。
収集が付かなくなりかけたとき対局の終わった行洋が現れた。
盤面は互角に見えた。行洋は興味を覚えて言った。
「つまらぬことを言っていないで続きを打ってみたらどうかね?」
行洋の一言は、その力と地位だけでなく絶対の重みがあった。
アッキーは思わぬ人物の出現に青くなり赤くなりしていたが頷いた。
続きの石が打たれて、皆が次の佐為の一手を期待して注視したが
佐為は目を閉じ石を持とうとしなかった。
考えているというより無の境地にみえる果てしなく思えた長考の末、
佐為は静かに眼を見開いた。
無邪気な子供の目ではなかった。
行洋さえ身震いしたくなる深遠な瞳だった。
回りの者が誰も予想出来ない一手が打たれ信じ難い展開を見せた。
盤面は互角であったはずなのに、
そのたった一手にアッキーは頭を下げるしかなくなったのだ。
大会に参加していたトッププロ達が畏怖し声をなくした。
佐為をよく知り親しんだ行洋でさえも声をかけることが恐ろしかった。
小さな体がストンと椅子からおり、いつもの無邪気な瞳が微笑みかけ
ようやく呪縛から解き放たれた。
「さすがネット碁の
saiですね。あっちの子だって決して弱くなかった。韓国でもトップのプロが勝てるかどうかのレベルでしょう。」
秀英が額の汗をぬぐう。
「しかも、
saiが誤魔化しなどするわけがないし無実なのに、あれだけ罵られて中断されて揺らがないなんて…。
子供なのに、どういう精神力だ。」
呆然と楊海も佐為を眺める。
本人はきょとんとして行洋達を見上げている。
このことは大会自体よりも大きな興味と関心を呼び
表には出ないニュースとして囲碁界に知れ渡った。
帰りの飛行機の中で行洋はアッキーを見つけた。
隠れるように一人座席に座っていた。
こちらの姿を見つけると、さらに小さくなった。
そんなこと意に介さない佐為がテテテッと駆け寄る。
「アッキーさん。また今度、打って下さい。」
ニコッと笑う佐為に驚いた顔で固まっていたアッキーの表情が
ゆるみ涙目になっていった。それとともに尊大な風情も崩れた。
「あぁ、こっちこそ打ってくれ。
私は…勝つために研鑽を重ね今度は正々堂々と戦う。
今まで誰もまともに戦える相手なんていなかったけれど
お前は違うな。
こんな風に強く燃えるような思いを感じたの初めてだ。
お前、名前は?」
佐為は嬉しそうに微笑んだ。
「新藤佐為です。」
「私は菅原顕忠。また、きっと打とう。」
帰国して手を振り合って別れた二人の再戦を行洋は楽しみだと思った。
家に帰ると玄関にヒカルが立っていた。
行洋はなじられるのを覚悟したが、
どうやらヒカルはヒカルで距離を置いてもパニックにならないように
不安を乗り越え精神が鍛えられたようだ。
佐為が嬉しそうに駆け寄ると、ヒカルは父親のように落ち着いた様子で抱きしめた。
行洋が韓国での佐為の武勇伝を話すとヒカルは大きく目を見開いた後
泣き笑いのくしゃくしゃの顔をして、しっかりと佐為を抱きしめた。
「そうか…。やり直したのか。やり直せたのか。よかったなぁ。」
不審なヒカルの言葉を問いただして行洋は初めて過去の事件を知った。
そして深い神秘と喜びを感じた。
韓国での出来事は過去の遥かなる時の
replay(再演)でありreplace(更新)であった。今生で佐為は試練を超える力を身につけていた。
深い感慨にふけっていると、アキラが帰ってきた。
ほんのり紅潮した頬がアキラも何か良い知らせを
持っていることを告げているようだった。
H
.17 4/16つづく
あとがき
アッキーという名前とアゲハマの件で菅原顕忠というのは
バレバレでしたでしょうね
(^-^;)お付き合い下さってありがとうございます♪
アッキーは某お偉いさんの息子という裏設定があります
だから子供にしてはヘンな言葉遣いにしてみました
(*^。^*)さてアキラの持ってきた良い知らせとは?!
これまた、バレバレ?すいません
(^-^;)>