遥かなる時を超えて 6

「きざはし」    水色真珠

 

目が覚めると少し寒かった。

ヒカルは隣を探った。

佐為…腹出して寝てんじゃねぇか…。

だが触れたものは佐為の腹より何かむにゅむにゅしていた。

またヘンなおもちゃもらったな。

塔矢副理事長か…?おもちゃ菓子は歯に悪いからやめろっていってんのに。

「うーん」

佐為の声じゃなかった。

ガバッと起き上がったヒカルは自分の手が握ってるものを見て

真っ赤になって声にならない悲鳴をあげた。

自分で自分の口を押さえて後ずさりする。

あたりを見回しガンガン痛む頭で必死に考える。

ど…どうして、こんなとこにいるんだ?

この痛さは経験がある。

20歳になってから色んな人間に飲め飲めと言われて酒を飲まされた翌日の痛みだ。

だから酒を飲んだってことなんだろうけど、いったいいつ飲んだんだ?

そして隣に寝ているあかり…

この状態はもしや冴木さんの言ってた酔った勢いで…ってヤツなのか?!

しっかりと自分達が服を着ていることなど未経験なヒカルには考えが及ばない。

頭に浮かんだのは幼子を抱えて苦労したジェニファーのこと。

「あかり!あかり!」

頭の痛みをこらえて揺さぶる。

「あ・・・ヒカル。」

あかりに、あんな思いをさせちゃいけない。

ぼんやりと目を開けたあかりにヒカルは言った。

「結婚しよう。」

「は…?ほへ?にゃに?ヒカル?えっ?それって…」

しだいに頭に染み込んでくる言葉に嬉しさが湧き上がってくるとともに

疑問も湧いた。

「なんで?」

「責任をとるっていってるんだよ。オレこんなつもりはなかったんだ。

すまな…」

謝りの言葉をみなまで言わせない枕パンチがとんできた。

「ばかばか!責任なんかで結婚しないでよ!

何考えてんの!ヒカルなんてグーグー寝てただけよ。

何にもないわよ!バカ!H!」

あかりは盛大に泣きながら部屋を飛び出していった。

慌てて追いかけようとしたヒカルだが痛む頭には枕パンチさえ強烈で

しばらく動くことはおろか声も出なかった。

 

昼近くになってようやく動けるようになるとホテルを出て

あかりのケイタイにかけたが電源が切られている。

あかりの家にかけるのもためらわれて、そのまま和谷の部屋へ向うことにした。

今日は研究会があるのだ。

佐為を連れに行く時間がないが塔矢アキラは、その点抜かりはないだろう。

歩き始めて、しばらくしてメールの着信音がした。

あかりだった。

”なぐってゴメン。”

それだけ書いてあった。

”こっちこそゴメン。でも本気だったんだ。オレお前に苦労させたくなくて。”

送るとすぐに返信があった。

”ありがとう。ヒカル好き。”

返って来たメールに、どう返したらいいかわからなくて立ちすくむ。

頭の血液が一気に下がって白くなる。

キライじゃない。好きだと思う。でも、あかりの言う好きとは違う気がして…。

考えた挙句そのまま思ったことを書いた。

”オレ、お前のことキライじゃない。好きだと思う。でもちょっと違う気がする。

たぶん、大事にしたいとかそういう方が近い気がする。”

”今は、それで十分。ありがとう。”

もらった返事の意味が読み取れない。

頭痛が酷くなった気がしてケイタイをしまうと座り込みそうな気分を堪えて歩いた。

いつもよりさらにヨレヨレのスーツにボサボサの髪、そして

どんよりとした顔のヒカルが現れると伊角が心配して声をかけてきた。

「どうしたんだ?元気ないな。」

「頭痛いんだ。」

ヒカルがぼそっと答える。

案の定、ちゃんと連れてこられていた佐為が

きゃわきゃわまとわりついてくるのだけに笑みを返すと後は抜け殻のようだ。

「あかりさんと何かあったのか?」

塔矢アキラは的確に弱点をついてくる。

「酒飲んであかりとホテルで寝た。」

みんなの目がまん丸に見開らかれる。

ガチャ。和谷の手からコップが落ちた。

「うわ〜!進藤なんかに先を越された〜!」

なんかに、というのが気にさわった。しかし今のヒカルにはどうでもいいことだった。

 

一方、いつもどおり佐為を連れてきたアキラだったが

激動の夜を送ったのは同じだった。

車でアパートにつくと佐為親子の部屋は暗かった。

「間に合わなかったみたいですね。お母さんお仕事に行っちゃったです。」

神子の両親はずっと神子夫婦の借りたアパートに同居してくれていたが、

今は父親が体調を崩して家に帰っている。母親も世話で来られなくなった。

早く帰るように言っていたのは仕事に出かける前に佐為が家に帰るようにだったのだ。

佐為は首から下げた鍵を取り出すと戸を開けた。

「アキラ先生。ゴハンあると思うからどうぞです。」

食事が欲しかったわけではなく小さな佐為を置いて行くに忍びなくて部屋にあがった。

佐為はポットから急須にお湯を入れ、机の上に置かれたゴハンを電子レンジで温めた。

「どうぞです。」

出されたお茶は出がらしだった。

食事は神子が昼間勤めているスーパーの惣菜らしい。

5割引のシールの付いたプラスチックケースがゴミ箱に入っている。

「社員は3パーセント安く買えるんだそうです。」

自慢気にいう佐為はアキラの前に山盛りのコロッケを置いた。

「こんなに食べられないよ。」

慌てるアキラに佐為はクリッと首を傾げる。

「ヒカルは食べちゃいますよ。アキラ先生はお腹すかないんですか?」

送って行って食事をご馳走になっているのは聞いていたが

相手の経済状態を考えたら遠慮したらどうなんだ…心の中で思わずヒカル責めてしまう。

しかし、アキラの側でゴハンを食べながら他愛もないことを話し嬉しそうに笑う佐為に、

ヒカルが食事をご馳走になって帰るわけがわかった。

一人で食べる食事は味気ない。

アキラは好きでやったのだし成長してからのことなのに、そう感じた。

幼い佐為にはよけいそうではないかと思う。

以前のように祖父母が一緒でさえ、

やはり母といるようなわけにはいかなかったのにまったくの一人なのだ。

桑原のところからの帰り際、母に甘えていた虎次郎、包み込むジェニファーを見た。

なんという違いだろう。

いいのだろうか?うっすらと焦り似た思いが沸き立つ。

家に遅くなる旨を告げる電話すると佐為を風呂に入れて寝かしつけた。

なんの不安もひっかかりもない純粋な眠りについた顔は

不思議なくらい見ている者を幸せにする。

白桃のような頬も桜色の口元も赤ん坊のように柔らかく温かそうな感じがするせいだろうか

なんとなく、まだ乳臭く甘い香りがするようで思わず笑みが漏れてしまう。

こんな顔を数秒でも見ていられないのは惜しい気がする。

眠るのさえ勿体無くて見入っているうちに考えた。

好きでそうしているわけではないのだ。

きっと神子だってジェニファーのようにしていたいに違いない。

もし金銭的不自由がなければ…

だが見返りない経済的援助をするのは、どうなのだろう?

佐為がsaiであり、自分にとって多大な影響を与えた尊敬すべき存在であることを思うと

自分にとっては当然のことなのだが、あくまで今は有望な子どもで進藤の弟子で…

神子にいたっては多分友人にすぎない。

それでも困った友人を助けたいと思うのは自然だろうけれど。

だが、それが相手を傷つけないだろうか?

たとえば男である自分が若い未亡人の子供に援助することで自分は何を言われてもいいが

世間はどう見るだろう?彼女は困らないだろうか?傷つかないだろうか?

それに、おっとりしているが決して甘えた人間ではないのだ。しっかりとした矜持がある。

そんな彼女にとって、ある意味侮辱ではあるまいか?。

援助したい等と考えること自体傲慢ではないのか。

助けたい、そう思うのは自然なはずなのに単純でない問題に溜め息が出る。

12時過ぎになって、やっと神子は帰って来た。

疲れた顔をしている。

アキラがいるのを知るとひどく驚いた。

「塔矢先生。どうなさったんですか?あ・・・佐為がわがままでも?」

うろたえる神子にアキラは首をふった。

「違います。つい帰りそびれてしまって。厚かましくお邪魔して申し訳ありませんでした。」

神子が帰ってきて初めて気がついた。

佐為がいるとはいえ他人の異性のいていい時間ではない。

ただでさえ母子家庭で風当たりもあるだろう近所の人にヘンな目で見られてはいけない。

アキラは立ち上がった。

「お気遣い頂いて申し訳ありません。」

立っているのも億劫なほど疲れているだろうに神子はペコリと頭を下げる。

髪が流れて細い首筋が見えた。薄い皮膚が何故か痛々しく思えた。

桑原に出会う前のジェニファーのようになってしまったらと思うと背筋が凍りつく。

魔が差した。桑原の悪影響だったのかもしれない。

「ボクと結婚しませんか。そうすれば働かずに佐為の側にずっといられる。金銭的な苦労もさせない。」

あんなに色々考えていたのに軽率だった。口走ってしまってから後悔が襲ってきた。

責任はとれるつもりだ、だが相手の気持ちを考えない言葉だった。

慌てて頭を下げた。

「すいません。失礼なことを…」

アキラは桑原にはなれない。偽善もできなければ偽悪できない。

たぶん1000年生きてもできないだろう。

それが塔矢アキラだから。

真っ赤になって俯いてしまったアキラに神子の目は優しかった。

母親を思い出す目だった。

ムチャして心配をかけてもジッと優しく見守ってくれる母のような。

アキラは自分が子ども染みていて恥ずかしかった。

「塔矢先生は本当に佐為のこと大事に思っていてくださるんですね。

ごめんなさい、不甲斐ない母親で、こんな環境で育ててしまって。」

「いえ、ボクが僭越で無考えでした。

あなたがどれほど佐為を大事に思って力をつくしているかわかっているつもりだったのに。

あなたの苦労や辛さを考えたら言えないことです。」

神子は小さく首をふった。

「いいえ、私は私のなすべきことをしているだけですから…。」

凛とした声に思わず顔を上げたアキラは、初めて彼女が美しい女性であることに気がついた。

いや、元から居るだけで騒ぎになるほど美しい女性なのだとは知っていたが

普段の彼女はとても無邪気で子供のようで、その印象ばかりが強くあったし

興味の範疇になく美しいというのは単なる知識であった。

だが初めて心から向かい合い佐為の母ということでなく、一人の人間として見て美しいと感じた。

それは生き方の美しさなのだと思った。

生き方は容姿に表れ、形作られた肢体は美しい。

思わず見惚れた薄く白い頬にかかる黒髪が胸をなぶるのを感じてアキラは罪の意識におののいた。

母という神聖な白絹をすかして見てはいけないものを見ようとしている自分に気づいて

よろめくように数歩後に下がると玄関の戸に背中があたった。

 

                        H.16 7/1 

つづく

 

あとがき

前回の「step-by-step」も「きざはし」も意味合いは同じです。

ただ「step-by-step」がヒカルバージョン

「きざはし」がアキラバージョンなんですね

大人の階段を上り始めた2人です(*^-^*)

しかし昼メロって、こういうのなんでしょうかね?

私は見ないのでわかりませんが人の話しなんか聞くと、こんな感じかなぁなんて(*^^*)

さて塔矢は帰ることが出来るでしょうか♪