遥かなる時を超えて 4

「孟母と虎児」    水色真珠

 

純和風建築の時代錯誤な屋敷に招き入れられると

磨きこまれた廊下の奥から和服の女性が現れた。

ヒカルとアキラは思わず顔を見合わせた。

ゆるく結い上げられた金髪、碧い眼。

これがウワサのジェニファー、虎次郎の母であることは間違えない。

だが、どうみても自分達の母と同じくらいの歳にしかみえない女性を

桑原の妻とは思い難かった。

女性はつと床に座ると三つ指ついて頭を下げた。

そこらの現代日本人女性では出来ないような優雅な仕草に

ますます困惑するヒカルとアキラに柔らかく微笑みかけると

飛びついてきた虎次郎を抱きしめながら言った。

「ご心配なさらないで下さいませ。ちゃんと日本語はしゃべれますわ。」

鈴を振るような笑い声に、そういうことじゃないのにと思いつつ

二人はぎこちなく頷いた。

長い廊下を案内されていくと向こうから明るい顔立ちの少年がやってきた。

その長い脚と銀色の髪からも疑いようもない異国の少年は

2つ3つ向こうの部屋の前で立ち止まって廊下に正座すると襖を開き

中に向かって頭を下げた。

「行って参ります。奥様。」

アキラは違和感を覚えて目の前のジェニファーを見た。

桑原の妻は、この女性のはず。なのに青年は誰を『奥様』と呼んでいるのか。

青年は頭を上げて、こちらに気がついた。

「母さん。」

人懐こい笑みにジェニファーは答えるようにうなづいた。

「出かけるのですね。ユーイ。」

「はい。奥様にご挨拶申し上げていました。」

後からヒカルがアキラを押し出すように中を覗き込むので

行儀が悪いと思いつつもアキラも中を覗き見る格好になった。

中には豪華絢爛で巨大な仏壇があり、悲しいほど不似合いな

ちんまりという表現がピッタリな老女の遺影が穏やかに微笑んでいた。

不遠慮かつ無考えなヒカルは自分の疑問をストレートに聞いた。

「これ誰?」

アキラは自分が言ったわけではないのに、

それでも恥ずかしくて申し訳なくて思わずヒカルの後頭部を小突いた。

「君には、遠慮とか礼儀というものはないのか!失礼だろう!」

ヒカルは小突かれた頭を大げさにさすりながらアキラを睨んだ。

「だって、聞かなきゃわかんねーじゃん!」

そういう問題ではなく故人をさしてコレというのが失礼なのだと説明したくても

激昂モードのアキラは言葉がでない。拳を震わせ、つい怒鳴る。

「進藤!君は小学生の頃から、そういうところは少しも成長しないんだな!」

「なんだと!お前だって、そーいうトコぜぇーんぜぇーん変わんねーぞ!」

笑い声に我に返ると、皆が可笑しそうにしていた。

「本当に仲がいいんだな、お前ら。」ユーイが体を折り曲げて爆笑している。

『奥様』に対しては礼儀正しく硬そうに見えたが、他には外見通りの気さくな人間らしい。

佐為と虎次郎も小さな手を口元に当てて、ぴょんぴょん飛び跳ねながら笑っている。

ヒカルといるとアキラは自分の精神レベルが下がるの危惧せずにはいられなかった。

ジェニファーも微笑みながら言った。

「『奥様』は旦那様の前妻。私は後からの子連れ押しかけ女房ですわ。」

じゃあ、虎次郎も。と二人は納得しつつ安堵した。それが早計であるとも知らずに。

 

虎次郎の子ども部屋に通されると、その佐為の家のアパート全部合わせたより広い部屋は

足つきのカヤの碁盤や名だたる名棋士の棋譜集・パソコン等に埋め尽くされていた。

「ネット碁もやるんです。

これからは海外にも目を向けなくてはいけないと思いますから

ネットで韓国や中国のプロ棋士の方にも指導碁して頂いています。」

虎次郎の話はスケールが大きすぎてアキラにもヒカルにも、ただ頷くしか出来なかった。

「桑原先生、お前を見て早期教育の重要性を考えたのかもなぁ。」

ヒカルが言うとアキラは目をまん丸にして絶句していた。

「なんだよ?お前が自覚ないのはわかるけど、そんなに驚くことかぁ?」

「あ…、いや、君の口から早期教育とか重要性なんて単語が出てくると思わなかったから…」

真面目に驚かれてヒカルの眉間に皺が寄る。

「お前とは絶対仲良しじゃねぇ…」

小さく呟いて横を向いてしまったヒカルに

ジェニファーはお茶とお菓子を出しながら言った。

「違うんですよ。

旦那様は虎次郎が可愛いものだから甘やかして

出来ることは何でもして欲しがるものは何でも買って来てしまって…。

それでこんな風になってしまったんです。

私が厳しく躾てくれるおかげじゃなんて、御自分は手放しで可愛がっているんですわ。」

呆れた調子のジェニファーだが、彼女自身も目に入れても痛くないような風情がある。

優しくしっかりした性格は天賦のものかもしれない。

高級菓子などいくらでも手に入るだろうに

佐為からもらった人工着色料のオマケの飴も大喜びで受け取り、

大事そうに机の上の筆立てに飾り眺めながら

碁以外にも造詣が深いらしく色彩やイルカの習性などの知識を佐為に語っている。

ヒカルは出されたせんべいに食いつきながらポロリと言った。

「でも虎次郎はジェニファーさんの連れ子なんだろ?

自分の子じゃないのに甘いんだ?」

次の瞬間、アキラは再びヒカルの後頭部を小突いていた。

「君は学習ということを知らないのか!」

ヒカルも頭をさすりつつ怒鳴り返す。

「お前もな!」

だがジェニファーは平然と佐為と虎次郎にもジュースとお菓子を与えながら言った。

「いいえ、レオナード、フランシス、ユーイは連れ子ですが

虎次郎だけは正真正銘、旦那様の御子ですわ。」

安堵するには早かったのだと口をぱっくり開けて固まってしまった二人を

面白そうに眺めてジェニファーは話し出した。

 

「私は元々は水商売の女でした。いろんな国を流れて景気のいいという日本に来たの。

騙されたり、こっちが愛想をつかしたり別れた男との子どもが3人もいたし

裕福な生活をさせたかったの。でも話に聞いていたみたいに上手くはいかなかったわ。」

ほんのりジェニファーの顔に苦い色が浮かんだ。

「食べるのにも困ったわ。とりあえず今、子どもに食べさせるものが欲しくて

ナイフを手にしたの。金持ちそうな年寄りなら何とかなる。そう思ったの。」

二人の顔を見ながらジェニファーは笑った。

「同じ立場なら誰だってやるわよ。あなた方の母親だってね。」

困惑するしかない二人の頭を子どもにでもするように撫でながら言うジェニファーは

暗い影と冷や汗が吹き出るような冷気と確かな母の匂いがした。

「襲った相手が旦那様と奥様だったわ。旦那様はナイフを出した私を見ると

お笑いになられたわ。ワシみたいなくそジジイいつ死んでも喜ばれるだけじゃ。

だが、お前は子どもらを手放さなければならなくなるぞ、と。

イジワルな言い方でしたけど、私の後ろの子ども達を見る目は温かでした。

奥様はナイフを持った私の手をとると、苦労してるのね、私もほらっと

御自分の手を広げられました。その手はとても裕福なご婦人のものとは思えない

指は曲がり皮膚はひび割れ爪も変形し磨り減っているものでした。

でも誇らしげで、旦那様もワシに好きな道を歩ませてくれた世界で一番別嬪の手だと。」

今のジェニファーの手は美しかった。まるで生まれ変わったように。

「旦那様は全ての人間を救うことは出来んが、あんた一人くらいならなんとかなる。

いわゆる偽善じゃ、清廉潔白公正明大なヤツには出来がワシは悪人じゃから大丈夫と言って

私を奥様のお世話係りに雇い、御二人にはお子様がありませんでしたから

子ども達を養子として引き取り教育が受けられるようにして下さいました。

実の子が出来たように喜んで虎次郎と同じように深い愛情を注いで下さいました。」

小さな虎次郎と佐為は話にあきてしまったのか碁を打ち始めてしまったが

ヒカルとアキラは驚きのあまりただ話しに聞き入るしかなかった。

そして、その心中はそれぞれに複雑だった。

「10年前に奥様が亡くなられました。

旦那様は、まだロクに良い思いもさせていないのにバカ者が、

と棺の中の奥様の髪を梳いておられました。

私は…その時どうしても旦那様の御子が欲しいと思ったの。

ご恩返しとかじゃない、惚れてしまったのね。」

ジェニファーの白い肌が艶をおびて、なにより言葉の真実を語っていた。

「旦那様は若い男と再婚しろとおっしゃられたけれど、押し切って後妻になったんです。

もっとも虎次郎は奥様が不妊治療なさっていたことがあって

それを利用しての人工授精なんですけれど。」

コロコロと笑って言うけれど医療倫理とか養子制度・国籍戸籍などなど

金で黙らせた部分が大きいことは語るより明らかで

世事に疎いヒカルやアキラにもしっかり感じ取れる。

それを悪と断罪することも出来ない二人は大きな宿題をもらった気分で

苦い茶と甘い菓子を頂きながら桑原の帰宅を迎えに出るジェニファーを見送った。

古狸の妖怪屋敷で狐に化かされたようにボンヤリした二人は

佐為と虎次郎に互い戦でさえ上手く打ち回されてボロボロだった。

 

それにしても、もっとも嫌なタイミングで現れるのは桑原本因坊の特性と言えるかもしれない。

ボンヤリしているのを佐為と虎次郎に窘められながら負けましたと頭を下げた瞬間

カラリと障子を開けて入ってきたのが桑原だったのだ。

「ひゃひゃひゃ、若手期待の星も形無しじゃなぁ。」

なぜか桑原に笑われると5割増し気分が悪いと言われているが本当だと実感する。

よっこいしょと腰を下ろして碁盤の上を眺められると、なお嫌だ。

「やれやれ、虎、佐為ちゃんや。どうやらワシの本因坊の座は当分安泰そうじゃ。

長生きせんといかんのぉ。お前達に渡せるまでのぉ。ふぉふぉふぉ。」

なんと笑われようと言葉が返せない。

桑原は懐から飴を取り出すと佐為や虎次郎ばかりかヒカルやアキラにまで与えた。

そこまでバカにするのかと思いきや自分までなめだす。

「虎が生まれてから煙草はやめたんじゃよ。

別に長生きせんでもいいとおもっとったが、まだまだ去るには惜しい面白いことがありそうでな。」

桑原はニヤリと笑うとヒカルとアキラを眺めた。

「碁はいいのぉ、ワシは若いモンと打つと寿命がのびる気がする。」

他人の生気を吸う妖怪だから?とは、さすがの失言大王のヒカルも口には出来なかった。

「ワシの碁が若い者達と打つことでヤツラの碁に影響を与え新しい碁が生まれる。

そして影響を受けたヤツラは、さらに若いヤツラに影響を与える。

そうしてワシは、ワシの碁は、世代を超え時代を超え生きていく。

気がするだけでなく本当に寿命がのびているんじゃなぁ。

ふひゃひゃひゃひゃ。

まるで盤面の流れのようじゃのぉ。

おもしろいのぉ、碁は、人生は。」

生きていること自体が碁のような人なのだと塔矢アキラは刮目した。

 

                        H.16 4/8 

つづく

 

あとがき

虎児は虎次郎ですが、孟母はジェニファーさんもですが

前妻のトヨさんですね…お話の中では名前出てきませんが

決まっていますのです♪

いや〜昔話が長くて書くのに苦労しました

ジェニさんしゃべりっぱなしの巻でした(^-^;)

意外な桑原本因坊話が発端でヒカルとアキラにも…

あかりちゃんや佐為母に繋がっていきます♪

余談

今回意外なことがわかりました、うちの辞書機能

天賦・刮目が変換で出ません。

ちょっとショック…。

   次へです〜♪