遥かなる時を超えて 2

「川の流れのように」    水色真珠

 

ヒカルは手合いのない日は棋院でのsaiの研究会だけでなく

塔矢副理事の碁会所・和谷の研究会・大会など囲碁関係のあらゆるところに

佐為を連れていく。

すると塔矢アキラが当然のようについて来る。

佐為の前世のことを知っている彼が佐為に深い興味を持つのはしかたないし

自分以外にも全てを知っている者がいるというのは嬉しく頼もしくもあるが

ヒカルには独占し損ねたつまらなさもある。

たとえば虎次郎転生の件では久しぶりに塔矢アキラの「ふざけるなっ!」を

廊下掃除用の水の入ったバケツに足を突っ込み転倒するという

おまけつきで聞くことが出来た上

おふざけではないとわかった後は自分も同じだったのだろうと

しみじみ思う立ったままの気絶を5時間ばかり見せてくれた。

だが、いい事ばかりとはいえない。

別に来てはいけない理由などないし佐為も喜ぶのでかまわないのだが、

佐為は子どもらしくもなく雅なものを好むため日本庭園や日本美術館に行きたがる。

日本画や陶芸・枯山水や蹲踞(つくばい)などが好きだ。

そして花畑や植物園も好きだ。生態などの学術的興味より美しさを喜ぶ。

そういう場所では、似たもの同士のアキラと佐為を

ヒカルはあくびを噛み殺しながら付いて回ることになる。

ヒカル的には、ちょっぴり不満なのだ。

それでも、子どもらしいところがあらわれるポケモン関係の場所では

アキラよりヒカルがリードするので不平を言ってはバチが当るかもしれないけれど…

 

今日は紅葉狩りに来ていた。

ここはアキラの得意分野だ。

二人は青い空を背景に滝に散る鮮やかな金色や薄紅・朱色のさまにうっとりと見惚れている。

すでに弁当を広げているヒカルとは大違いだ。

佐為は自分の手の平と同じくらいの落ち葉を拾うと、そっとひとつひとつ風に放した。

やわらかな風は鮮やかな落ち葉をまとい川面を翔け、流れる水に色を落とす。

落ち葉の色に覆われた川は艶やかに微笑むように流れていく。

「綺麗ですね…。」

金色の葉を扇のように口元に当てポツリと呟く佐為は

感極まって自身の頬や唇も色づいている。

色の白い佐為は、大げさに騒ぐ時はもちろん

そうでない時もはしゃぐとすぐわかる。

アキラは佐為のわかりやすい性格に思わず微笑んで頷いた。

「竜田川は、もっと美しいそうだよ。」

佐為の笑顔がひときわ輝く。

「見たいです〜。」ぴょんぴょん跳ねまわる。

「とりあえずは弁当にしよ〜ぜ〜。」

ふて腐れたヒカルが雰囲気をぶち壊しにする絶妙のタイミングで声をかけた。

狙い通りに佐為はポケモンのお弁当箱に飛びつき

塔矢アキラはヒカルを見る目が冷たい。

「進藤…。君には風情の欠片もないのか?」

「風情?それ何?食えんの?」

とぼけるヒカルを他所に塔矢アキラは母の持たせた重箱を開けた。

「進藤…、そう君が来るならボクの手は、こうだ。」

重箱にはピカチューの海苔巻がぎっしり詰まってニコニコと笑っていた。

佐為は大いに喜んだが、さすがのヒカルもこれにはひいた。

「金太郎アメじゃあるまいし、お前の母さんって…。」

ふふっ…とアキラは辛そうに笑った。

「もちろんボクが頼んだわけじゃない…。

今朝、母が作っているのを見てボクも愕然としたよ。」

「そういえば、お前の母さんも佐為がお気に入りだもんなぁ。」

ヒカルには自分が頼んだわけでもないのに偉そうに出してきた塔矢アキラに

突っ込むほど非情にはなれない理由があった。

気が重そうにヒカルも母の持たせてくれたポケモン弁当箱を開けた。

中には特大のピカチューおにぎりが鎮座していた。

アキラが絶望的な瞳で見る。

「君のところもか…。」

頷きあう二人を他所に佐為だけは、ご機嫌モード全開だった。

塔矢アキラがヒカルを睨む。

「だいたい君がピカチューと似てるから…」

「ちょっと待て!ピカチューがオレに似てるんだろう!って、ちっとも似てねーぜ!!」

今では、あまり持ち歩かなくなったが遠出をする時は持ってくることもある

後頭をマジックで黒く塗りつぶされたお気に入りの1/1ピカチューに

佐為はお弁当を食べさせるマネをしながら食べている。

塔矢は、それを目線で指し示し言う。

「あれが君でなくて何なんだ?」

「違うだろ!!どこが似てんだよっ!」

咎め立てるような塔矢アキラの目にヒカルが怒る。

「黄色と黒…。」

「阪神だってスズメバチだって黄色と黒だろ!」

言い分けするヒカルに相手は肩をすくめた。

「縞じゃだめなんだろうね…。」

ヒカルは嬉しいんだか情けないんだかわからなくなって頭を抱えた。

「ヒカルもアキラ先生も食べないんですか?」

こくりと首を傾げて問う佐為に二人は曖昧な顔でおにぎりと海苔巻を口に入れた。

しょせん育ち盛り、弁当はきれいに空になった。

 

お弁当が終わると碁を打つ。

どこでも碁を打たずにはいられないあたり、

かなり常人からすると異様なのだが本人達は無自覚である。

それどころか錦絵のような風景の中で打てることを楽しんでいる。

コトリとヒカルは碁笥に碁石を取り落とした。

「ま…負けました…。さ…佐為…お前やたら強くなっているぞ。」

塔矢アキラも、らしくもなく口をアングリ開けて魂が出ている状態だ。

佐為は小さな両手を口元に当ててくすくすと笑った。

「でも、まだ3子置きですし3回に1回くらいしか勝てないです。」

こちらはプロ九段だ。

たとえ3子置きでも五歳児に3回に1回も勝たれては立つ瀬がないのだが、

と思うヒカルとアキラだが佐為は気が付かずに嬉しそうに跳ね回る。

「ヒカルに貰った棋譜ぜんぶ覚えたんです。それに夢で指導碁してもらったんです。」

ヒカルとアキラは慌てて佐為を捕まえ問い詰める。

「お前に似てるって言う長い黒い帽子をかぶったヤツか?!」

こくこく頷く佐為。

「そうです。夢の中でヒカルと打って負けた時の棋譜並べしてたら

失着を教えてくれて…、私なら、こう打ちましたよって

確かにヒカルが勝てない手を教えてくれました。

それで指導碁もしてくれたんです。」

まだオレは追いついてないのかと思いつつヒカルは頭を抱えて叫んだ。

「それにしても、ずるいぞ。自分で自分に指導碁するなんて!」

ヒカルの脳裏に口元に狩衣の袖をあてて、悪戯な笑みを浮かべた顔が浮かぶ。

悔しがって地団駄踏んでも届かない。

うらやましそうに塔矢アキラも溜め息をついた。

「強くなるわけだね。」

二人の様子に佐為は首を傾げる。

「強くなったのはヒカルなんでしょう?

棋譜並べをしていたらヒカル強くなりましたねって

とっても嬉しそうに言っていましたよ。」

ニコニコと笑う佐為をヒカルは強く強く抱き締めた。

ヒカルの頬をボロボロこぼれ落ちる涙に慌てる佐為の頭をアキラは優しく撫でた。

「大丈夫…。進藤は嬉しいんだよ。だから本当のことを言っても良いんだ。」

不思議そうに見上げる瞳に塔矢アキラは、聡い佐為のことだから

けっして今、見聞きしていること忘れまい、

それだけでなく理解する時が来ると感じた。

ならば、いつかは全てを話すか自身で気が付くか…

どちらにしても知ることになるのだろうと人としての理を超えた運命に

身が震えるのを感じた。

その運命の理由は、なんなのだろう。

目の前の幼い小さき手、無邪気な顔に

遥かなる時を超えて現世に蘇った魂の担う役目の、

あまり重過ぎぬことを祈らずにいられない。

あの遥かな昔、至高の才を持ちながら儚く不遇であった生。

死を選んだというよりは、死に追いやられた魂である佐為に

千年という時は神の寵愛であったのか懲罰であったのか。

自分や虎次郎のように碁打ちの家でもなく片親の下に転生したことも

死を選んだ罪からの浄化を示すのか償いの続きなのかもわからない。

それが塔矢アキラには根深い不安だった。

そもそもアキラには偶然に碁笥に混ざっていたという白石からして

佐為を手中に収めるための神の罠のように思えてならない。

だからこそ神からさえ、いや相手が神であろうと魔であろうと関係ない、

この至高の才を持つ魂を守りたい。

転生した今生こそは穏やかで囲碁界の至宝として

思うさま花開くように自分の出来るだけを尽くしたい。

進藤ヒカルを通して受け取った大いなるものに対しての感謝から

そう思わずにいられない。

その想いとは別に彼自身も大いなる運命の中で深く関わる選択をすることになるとは、

その時は思うすべもなく。

 

ヒカルが川の水で顔を洗っていると佐為がほてほてとやってきた。

泣いてしまった手前、照れくさくてぼんやりと降ってくる落ち葉を見上げていると

小さな水音が聞こえて慌てて振り返ると佐為が川の中を歩いていくのが見えた。

子どもの足の甲までもない浅さなのにヒカルの心臓は引っくり返った。

慌てて飛びつくと夢中で佐為を抱き上げる。

キョトンとした瞳で見上げられて説明に困るヒカルにアキラが駆け寄ってきた。

「進藤…。」

ヒカルの困りきった顔にアキラは佐為の注意をそらすように話し掛けた。

「川の中に一人で入ってはダメだよ。急に深くなるところもあるからね。」

とはいえ、どう見ても中州まで浅いままだ。

だが、佐為はしゅんとして謝った。

「ごめんなさい、あんまり綺麗だったから…。」

「辛かったんだろう?悲しかったんだろう?碁が打てなくて…そんで…」

ヒカルの言葉を塔矢が遮る。

「進藤…それは過去だ。」

あっ、とヒカルは小さく声をあげて我に返った。

「オレこそ、ごめん。へんなこと言っちまった。」

傷ついた心を隠すように笑って見せたヒカルに幼い声が答えた。

「川は美しかったですよ…

その流れの連れて行ってくれるところへと全てをゆだねてしまえるほどに…。」

川の流れが連れて行ったのは千年という時の流れの中へだった。

そして今、ここにいる。

瞬間、目がくらんだような感覚を覚えてヒカルとアキラが

佐為を見ると佐為自身も不思議そうに口を押さえて目をパチクリさせていた。

「なんだ…今の?」

ヒカルは誰も答えられないとわかっていても呟かずにいられなかった。

もしかしたら遅かれ早かれ佐為は思い出すのかもしれない。

ヒカルもアキラと同じ想いを抱いた、ただ深い洞察よりも直感が先立っていたが。

過去の苦い恐れを含んだ不安と、

こんどこそ佐為が思うさま碁が打てるようにしてやりたいという決意。

だがアキラと顔を見合わせて、お互いに思った。

その想いが窮屈に佐為を縛らぬように佐為が伸びやかに笑えるようにあろうと。

 

帰り道に土産物屋で夕食代わりにラーメンを食べた。

だいたい土産物屋の食事は美味くないのだが、ラーメンにうるさいヒカルが

他の客が食べているのを見て美味いと見抜いて注文したラーメンは

本当に美味しく当りだった。

ラーメンを食べつけない塔矢もおそるおそる口をつけると

その和風でコクがありながらあっさりとした味にすっかり感心した。

佐為も大喜びだった。

ほどよく帰り道も空いたであろう頃を見計らって勘定を済ませると

店員が佐為に棒の先にキレイな青いイルカの形の飴がついているものをくれた。

佐為は大喜びで帰り道ずっと握りしめていた。

ヒカルとアキラは交代で運転していたが、

もちろん運転していない方は佐為と碁を打っていた。

どこまでも碁バカな面々だった。

「こういう時は3人でもいいけど普段は一人余るのが困るよな。」

運転するヒカルが声をかけると佐為が答えた。

「じゃあ、今度はトラちゃんも呼びましょう。」

桑原本因坊の「息子」だが実力があるのは確かなので拘らずに声をかけてみよう

ヒカルもアキラも、そう思ったので同意した。

佐為は仲良しの虎次郎も加わることになるのが嬉しくてたまらない。

「トラちゃんは、とっても優しくって良い子なんです〜。」

うんうんと塔矢に頷かれて、ますます嬉しくなる。

「それに、とってもキレイな目をしてるんです〜。」

それが形容でないことを知るのは後のことになるのだが

そのことをヒカルもアキラも深く感謝した。

でなければ、確実に途中で事故っていただろうから。

 

                        H.15 11/10 

つづく

 

あとがき

あぁ…、またトンでもないところで終わってしまった…。

トラちゃんの謎まで話が進みませんでした。

ヒントは佐為ちゃんが貰った飴です〜と言ってわかった方はスゴイ(^-^;)

ちなみに、うちの佐為ちゃんは水を怖がりません。

入水でトラウマになってたらモニターとはいえ水の中の魚を

一生懸命のぞき込んだり喜べないだろうということで…。

(水の守護聖様びいきなせいもあるかも…^-;)