★「三谷北町会」という名前の由来★


現在、「鷹番三丁目」の町会名である“三谷北町会”、昭和初期当時の住所は、

「東京府荏原郡碑衾町碑文谷」(トウキョウフ/エバラグン/ヒブスマチョウ/ヒモンヤ)という住居表示だったそうです。

しかしその後、昭和7年の“区制施行”により「東京市目黒区三谷町」となりました。

それからまた、11年後の昭和18年東京は「市」から「都」となったことで、

「東京都目黒区三谷町」と、なりました。当時はその南北で町会は分かれて、  

「三谷南町会」「三谷北町会」という二つの町会が存在したそうです。

さらに、昭和37年に、住居表示の変更によって、「三谷南町会」は、現在の「碑文谷6丁目」

そして今現在「目黒区鷹番3丁目全体」「目黒区五本木3丁目26〜33」の住人たちが集う町会が、

 

“三谷北町会”というわけでございます!

 

このような町会が21世紀の東京にどれだけ存在するのかは定かでありませんが、

目黒区という山の手地域にもかかわらず“温故知新”を感ずる不思議な町会です。

最寄の駅である「東急東横線・学芸大学駅」も、三谷北町会に位置しますが、新しく移り住んだ方々には、、

その歴史を知っていただくのも、面白いかもしれません。街並こそ変わりましたがまだまだこの地には、あたたかい

人と人のふれあいが残るやさしい街のテイストをみることができます。古き良き「昭和」のなごりも感じられるのも、

この町会にはしっかり残っている・・・そんな町会なのです!

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※由来については地元町会の先輩がたが地域情報誌などに書かれた文章を参考にお知らせしておりますが、公的に調べ上げたものではありませんので、

正確ではない場合もあります。内容についての誤り・誤記などございましたら「青年部広報」までお知らせ願えればお詫びして訂正させていただきます。

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