強さの条件
水色真珠黄昏時の空は、あの日のように赤かった。
が、ここには非常事態も緊急指令もない、すべてが穏やかでゆるやかに優雅に進行していく
あの日のような夕暮れさえも例外ではない。
やがて日が暮れれば空を星がうめつくす。
月が出てなくても夜道に不安はないほどだ。
本当に、ここは女王と神々の住まう天界なのだとヴィクトールはため息をひとつはくと
茜のそらが星達にとってかわられるのを見つめていた私室の窓をはなれた。
悲しみも苦しみも悲劇も存在しない理想境の、まるで自分は異邦人。
目を閉じれば、第二の故郷として大切に思い守護していた星の
あの時の痛みと熱が、息苦しさが頬をなぶる。
そっと目を開けば、そこは女王陛下に守られた桃源郷であるというのに。
コンコンと軽いノックの音がする、ティムカが食事に誘いにきたのだ。
ヴィクトールはそっと自らの悲しみをしまいこむと、いつもの暖かく力強い笑みを浮かべて部屋をでた。
テイムカはニッコリ微笑むとヴィクトールに丁寧に挨拶する。
しっかりとしていて礼儀正しい態度には、いつも感心させられる。
そして自分が子供の頃には…と思うと冷や汗が出ると共に尊敬さえ感じる
ティムカに、彼を育てた両親に。
食堂に行くと思った通りセイランはいなかった。
あの猫の目のように気まぐれな芸術家は決められた食事時間など守ったことがないのだ。
給仕の人間の苦労を思って苦笑がもれる。
食事をしていると何かが自分の心にふれた。ティムカを見ると行儀良く食事している。
「ティムカ?。」呼びかけた後に一瞬の不自然な間があった。
「なんでしょう?。」
「何を考え込んでいたんだ?。」
ティムカは少年らしいくったくのない笑みで答えた。
「とっても大事で深刻なことです。」
一瞬、からかわれたのかと面食らったヴィクトールだが
テイムカがそんなことをするわけがないことを知っている。
「困っているのか?。手伝いは要るか?。」
ティムカは首を横に振ると優しく微笑んだ。
「ありがとうございます。でも僕が自分で解決しなければならないんです。」
その強さにヴィクトールは唖然としてしまった。
さっきの自分が子供の頃には…という思いはますます強くなる。
「ティムカ、自分で…と思うことは大事だ。でも無理はするな、判断にくるいがでたり
自分や他人を傷付けることになるかもしれないからな。」
獅子のように厳つい顔の瞳には野生の優しさがあふれていた。
ティムカは素直にうなずいた。
「僕は自分に厳しさが必要だと思っているんです。これから僕が自分の役目を果たすために。」
「ティムカ、それは…。」
「僕は自分の道を自分の思う通りに生きるため、自分で見つけたいんです。」
唖然とするヴィクトールの顔にクスッとティムカは微笑んだ。
「なんて言ってますけど、色々な方に相談にはのっていただいているんですよ。
他人の意見を聞くことも大切なことですから。」
ヴィクトールは心の中ですっかり脱帽していた。
王太子というのは大変な立場であろうとは思っていたが、ティムカの年齢でここまで人間が出来ているとは…。
ヴィクトールは食事が終わると散歩に出かけた。
日暮れのさまに気を取られてランニングをしそこねたので、おちつかなかったのだ。
星空を眺めながら気ままに歩みを進めると、どこからともなく竪琴の音が聞こえてきた。
この聖地で竪琴を奏でる者はリュミエールしかいない。
どことなく流麗すぎる守護聖が苦手なヴィクトールは足を止めてしまった。
かといって、回れ右して戻るのは気づかれていないとはいえ失礼だし、そこまで嫌っているわけでもない。
結局、やわらかな音色にまかれて闇の中にボンヤリたっていた。
やがて音色が途切れるとかすかな衣擦れの音と共にリュミエール本人が歩いてきた。
ゆったりとした月光色の衣をまとい流水の髪を淡くかがやかせる姿は人には見えない。
なにか違う次元の者のようだ。そう思って苦笑する。当たり前だ、守護聖なのだから。
ヴィクトールを見つけると月の光よりもやわらかく微笑んで挨拶する。
「こんばんは。お散歩ですか?。」
決して子供のように未完の角を感じる高い声ではないのに、
聞くたびに変声期はなかったのだろうかと首をかしげてしまう声。
「こんばんは。リュミエール様もお散歩ですか?。」
リュミエールが優美な首を横にふると月の光の粉をふったように髪がきらめく。
「私は竪琴を奏でておりました。」
優雅ですね。
と言いかけてヒニクのように聞こえるかもしれないとあわてて口元を押さえると
リュミエールが不思議そうにヴィクトールを見つめて、ヴィクトールは初めてその海色の瞳の深さ知った。
さらに、奥深い瞳の海には月が映っていた。
不思議な光景にヴィクトールはジッと見詰めてしまった後リュミエールの言葉にハッとした。
「なにか、お話があるのでしょうか?。」
ヴィクトールにしてみればリュミエールの海色の瞳に映った月を見ていたのだが
リュミエールにしてみればジッと目を見て何か話したげにみえたのだろう。
ヴィクトールは困ってしまった。この流麗な守護聖に話す話題などない。
いや…ひとつあった。
さっきのティムカの話だ、リュミエールとティムカは仲が良い。
リュミエールにもティムカが考えていることを応援してもらえたら、
それは良いことだろう。
ヴィクトールはティムカのことをリュミエールに話した。
すると意外な話が出てきた。
リュミエールはティムカが相談にのってもらっている人間の一人だったのだ。
仲が良いからあたりまえかと力が抜ける。
「それでリュミエール様はティムカになんとおっしゃったのですか?。」
何気なく聞いた一言の相手の答えにおどろいた。
「私は厳しさとは相手を思いやる強さではないかと答えました。」
リュミエールの海のような瞳がさらに深くみえる。
「もっともティムカの考えるように本当の答えはティムカ自身の中にあるのですから
ゆっくり探せば良いと思いますともつけくわえましたが。」
「でもリュミエール様は相手を思いやる強さだとお考えなわけですか。」
おっとりとした表情のどこに、そんな強さがかくれているのか?。
ふとヴィクトールはティムカに感じたのと同じ事を感じた。
「守護聖様の年齢はどうなっているのかはわかりませんが、
ティムカといいリュミエール様といい俺があなた達の年齢の時には考えてもいなかったようなことを
いとも簡単なことのように口になさるんですね。」
ヴィクトールは嬉しそうに笑うと、さっきまで苦手に思っていた思いがときほぐれ大きく伸びをした。
リュミエールは見る者が綿毛でくすぐられたような気分になる暖かな微笑みをうかべた。
「そのようには思えませんが?あなたのように考えるにはとても心が強くなくてはできませんから。」
ヴィクトールが怪訝そうな顔をする。
「心が広く強くなかったならば、色々といいわけをして自分を弁護しようとするのではないでしょうか?。」
ヴィクトールはため息をついた。
「俺がこうなれたのは俺の力じゃありません。失った仲間達の命の重さのおかげです。
それがなかったら俺は若い時のまま、ただの無鉄砲で考えのない男でした。」
リュミエールの不思議な瞳は何が見えるのだろう、けぶる睫にかくれて夢のように美しい。
「考えてみれば、愚かな生き方かもしれません。だが俺は、その時のことは忘れられません…
忘れないようにして生きているんです。本当なら、忘れてしまえばよいのでしょう。
だが、俺にはできない。多くの仲間をなくしてしまったのです。忘れることなど…できはしません。
目を閉じれば、ともに戦った奴等のことが今でも鮮烈に思い出される。…奴等を忘れるわけにいかないんです。
それが、生き残った者の務めではないでしょうか?。俺はそう思っています。」
リュミエールはヴィクトールの顔の傷にそっとふれた。
「普通なら、その記憶は重荷でありましょうに。
あなたは亡くなった方々の命の重さを記憶で支え、
亡くなった方々の命の重さの記憶に…支えられているのですね。」
ヴィクトールは瞳を閉じた。
「そういうこと…かもしれません。
俺は奴等を重荷だと思ったことはありませんし
この記憶ゆえに正しく強く生きてきたつもりですから。
俺は…言葉をあつかうのはうまくありませんから、うまく表現できませんが。」
閉じた瞳が開くと、いつもの力強い輝きがやどっていた。
それは彼の最も輝かしい勲章だった。
FIN
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水鳴琴の庭 銀の弦 ****