月の歌わない夜
水色真珠
月のない夜のことだった。クラヴィスは自らの館を抜け出し宮殿近くをさ迷っていた。
女王の部屋には消えない灯り、昼も夜も宇宙のために全てを捧げて…。
クラヴィスは思う…それで満足か?幸せか?
掴めぬものを掴むように灯りに手を伸ばす。
こんな夜は好きだった。
自分の闇が、あの灯りのすぐ側まで包んでいる。
目を凝らせば灯りの中にいる人がのぞき込めるような気がする。
つまらない妄想に首をふり館へ戻ろうとした時
物悲しい竪琴の音が辺りを満たし夜の闇に月が光をなげかけたように思えた。
そして…消えない灯りに人影が映った。
クラヴィスには、その人影と自分の目線があったのをがわかった。
決して気のせいではない。小さく人影であることさえ判然としないほど遠くても。
アンジェリーク…。クラヴィス…。お互いの声が聞こえた。
やがて人影は消えた。
クラヴィスの心に引き裂かれるような痛みを残して…。
ふと館に戻る途中、竪琴の音を追ってみようと思ったのは
ほんの気まぐれだった。
庭園の入り口をくぐって闇の中を見透かすと噴水の傍らに
数日前に就任したばかりの水の守護聖…リュミエールが座っていた。
声をかけるつもりはなかった。
ただ自分の悲しみに共鳴する音色に聞き入っていた。
しばらくして聞き手が自分だけではないことに気づいた。
もしかしたら守護聖は皆それぞれ似たような悲しみを抱えているのかもしれない
なかには同じ頃に就任してきた強さを司る者までいるではないか?。
思わず口元に皮肉な笑みが浮かんだ。
そして、その夜はそのまま踵を返すと館へとかえっていったのだった。
やがて不思議なことにリュミエールはクラヴィスの執務室へ何かと理由をつけて訪れるようになった。
理由を問うのは簡単だったが
それも無意味であり気にもならなかったので、そのままにしておいた。
リュミエールは空気を乱すような動きやお喋りはしなかったから。
闇に包まれて思う。
おそらく故郷や家族を思い悲しみにみだれる心の安息を欲しているのだろうと。
その他に自分のもとへ来る理由など考えられない。
ある日のこと、リュミエールは遠慮がちに竪琴を取り出すと
それを奏でる許可を求めてきた。
あの夜のことを思い出して頷くとリュミエールの手元から煌くような音色がほとばしった。
目を閉じると目の前を金色の髪がフワリと横切り甘い香りと微笑みが包むように
まとわりついてくる幻想が見えた気がした。
はかなく消える幻想、思わず立ち上がっていた。
「気分が悪い、帰ってくれ」
クラヴィスはリュミエールのかなしげな顔に、もう自分のもとには来るまいと確信した。
…が、予想を裏切ってリュミエールはやってきた。
ほぼ毎日のように現れる。
何を話すわけでもなく、かといって、いて邪魔なことも窮屈な思いをするわけでもない。
茶を煎れるにしても不思議なことに傷つき疲れて過敏になっている
クラヴィスの神経にふれるような物音もなく。
何と指示することも催促することもなく飲みたいものが飲みたい時にでてくる。
万事がそうであったからかもしれない。
クラヴィスはリュミエールが来ることを空気があるように受け入れていった。
クラヴィスの回りの者にとっては、
誰であれ側に人のいることを嫌うクラヴィスの大変化であり
大騒ぎであったが当人にしてみれば意識の内にさえないことだったが。
宮殿の廊下を歩いているとルヴァの執務室の半分開いた扉から
竪琴の音がもれてきていた。
クラヴィスが部屋に不在なため午後のお茶の時間をルヴァとすごしているのだろうと
そのまま通りすぎようとした時、奇妙な違和感を感じて立ち止まった。
竪琴の音の包み込むような優しさ…そういえばクラヴィスの執務室で奏でた時もそうだった。
それが何故、違和感につながるのか考えた後、思い当たって思わずルヴァの執務室の扉を押し開けていた。
安らぎのサクリアを求めるような悲しみに乱れた心で
このような調べはつむげない。
突然に現れたクラヴィスなのに2人はにこやかにむかえ
さりげなく椅子と茶をすすめた。
クラヴィスが演奏の続きをうながすと、再び優しさにあふれた音がながれだす。
聞いているうちにクラヴィスは理解していた。
リュミエールが癒されに来ているのではないことに。
自分に求められるものがあるとしたら、それくらいしかないと思っていたのだが。
かといって癒しに来ているつもりなのだろうか?
と言うと、今まで自分を励まそうとか立ち直らせようとした者たちとも随分と違う。
皆、頑張れだの、ああしろこうしろ、
とか今のクラヴィスを変えようと変えなければいけないと働きかけてきた。
それが辛くて他人を遠ざけてきたのだ。
だが…?。
水のサクリアを持つものとしての使命感であれば間違えなく
今までの者たちと同じ態度をとったであろうにリュミエールは違う…なぜだ?
お茶の時間が終わって執務室に戻ってきた時にクラヴィスは自分の執務室で
もう一曲弾くことを求めた。
いつもどおりリュミエールはふんわりと微笑んでやってきた。
以前あのように言ったのに気にしていないのか我慢しているのか真意がみえない。
奏でる曲は柔らかく暖かな空気の波のよう。何かに似ている。
リュミエールの不思議な色の髪を見て思い出した。
月の光の放つ輝き。
そうすると、月の光は月のうたう歌なのかもしれない。
冷たい光だと言う者もいるが闇に包まれながら闇を包んでいる暖かい光なのだ。
そういえば以前なにかの折りにリュミエールが
月は無口で何も語らない冷たい存在だと言う者もいるけれど、その輝きは夜道の導だとか言っていたような。
多分、クラヴィスのことを喩えていたのだろうがクラヴィス自身は自分を闇そのものと考えている。
だから、この時も思った。
夜の闇に月があるように自分のそばにリュミエールがいても良いのではないかと。
来たければ来ればいい。闇は月を拒んだりはしない、月が何のために来るにしても。
その日、月は来なかった。
気まぐれに姿を変える月だから、そんな事もあるだろうと思った。
いいかげん飽きてルヴァのところへでも行っているのだろう。
さもなくば気に入った風景でも見つけて筆をはしらせているか…
そこまで考えて思わず皮肉な笑いに唇がゆがんだ。
自分は…何を気にしているのだ?。
気がつくと目の前の水晶球がチラチラと何かを映していた。
病床の女が息を引き取るところだった。それを家族が悲しみにくれ見守っていた。
他人が見ても気づかないが一見無表情なクラヴィスの、心の表情がくらくなる。
…見たくもない。何回となく見せつけられた光景。
一番最初は…。クッと、投げやりな笑いがもれる。
記憶も定かではない遠い昔、もう忘れたと思っていたが自分の母親だったと。
その光景に星の間に佇むリュミエールの姿が重なって。
さしものクラヴィスも目を見開く。
サクリアを送っているのではない、ただ空を見上げている。
持っている竪琴からは、あの物悲しい曲が身を切られるような悲しみと苦しさを抱いてながれている。
「お前の…母か…。」
クラヴィスは思わず呟いていた。
やがて夕方近くになってリュミエールはやって来た。
いつものように微笑んでいるが、手には竪琴がない。
今日は忘れてきてしまいましたと言う。
その言葉にクラヴィスは奏でることが出来ないのだと知った。
リュミエールは楽器を心のままに奏でる。音楽や美術を息をするように身近に生きてきた。
それで言葉をかわすように、心をかわすような民族であるリュミエールは
嘘や綺麗なだけの音楽を奏でることは出来ないのだ。
クラヴィスは確信した。
リュミエールはクラヴィスのサクリアを求めなくても
自分の悲しみを押し隠して微笑むことの出来る強さをもっている。
ここに来るのは…。
では、今だけは自分も月になろうとクラヴィスは思った。
悲しみの闇と共にあり、それを黙ってやわらかに照らす月に。
月の光があっても闇は闇であるように
闇を捻じ曲げて闇でなくなれなどという無理は言わない
あるがままを受け入れ見守る。
月の温もりをもたらすために…。
その日、クラヴィスが館へ戻り空を見上げると月はなかった。
だが闇は知っていた。月が自らの悲しみを、傷を負った闇に見せぬ為に姿を隠していることを。
その身を削ってさえ闇を訪れる月、それでいて必ず満ちた姿を取り戻すことの出来る強さを秘めた月
月を気まぐれだなどと、もう思えなかった。
「愚かしいほど誠実ではないか…?」ふと、そう呟いて宮殿を見ると
そこに、もうひとつの月が闇を照らしていた。
女王の部屋の消えない灯り、昼も夜も宇宙のために全てを捧げて…。
否、何の為に全てを捧げたのか?
月は何も語らないがクラヴィスは微かに、その悲しい心を感じた気がした。
fin
**** 水鳴琴の庭 銀の弦 ****