オ・ト・シ・モ・ノ 水色真珠

風が水面を駆けて、美しい波紋を描く。

風の姿が見たくて思わず空を仰いで…

水の守護聖はコケた。

足元にあった何かにつまずいたのだ。

まわりの美しさに見とれてコケることは、珍しいことではない。

しかし、この優美で落ち着いた風情の守護聖がコケるのをみたら

たいていの人は希有な事と思うだろう。

なぜなら他人がいるところでは常に人を気使い

何かに見とれたりしないのだから結果コケたりはしないからなのである。

よほど間が悪く、そういう時に来合わせたりしないかぎりお目にかかれないシーンなのである。

 

だが、ここに異常に間の悪い人間が一人いた。

彼は頭の中で、こういうシーンをお目にかかったのは何回目だろうかと数えてため息をついた。

見ないふりをするのが武士の情と、

痛そうに足をさするリュミエールに気づかれないように、その場を離れた。

 

ローブの裾をまくると、運良く今回はケガが無いことがみてとれた。

常なら皮膚の薄いせいもあって、出血しやすいのだ。

だが、細い足首は異常を訴えている。あきらかに挫いているようだった。

それでも立って歩けないほどではない。私邸に戻ろうと思い、ふと足元のものに気がついた。

明らかに自然物ではない、誰かの落とし物である。

「落とした方は困って探してらっしゃるでしょうね。」

そう呟いたとたん、水の守護聖の脳裏からはスッパリ挫いた足首のことは消え去っていた。

(あそこは森の花畑の入り口。歩かれる方は少ないはずです。

訪ね歩けば落とした方もわかるでしょう。)

彼は、それを握り締めると私邸とは反対の宮殿に向かって歩き出した。

 

宮殿に入ると執務を終えたオリヴィエが帰るところに行き当たった。

「あっれー?リュミちゃんは今日の執務終わって帰ったんじゃなかったっけ?

ああ、忘れ物?。」

リュミエールはニッコリ微笑むと首を横にふった。

「いえ、落とし物なのです。」

「ナニおとしたの?。」

「いえ、拾ったのです。」

オリヴィエは呆れたように肩をすくめた。

「そんなの警備員にまかせておけばぁ?。」

リュミエールは少し困った顔で答えた。

「人を煩わせるのは気が進まないものですから。」

「それって何ナノかなぁ?。私の落とし物かもしれないじゃない?。」

リュミエールが手に持っていたものを見せるとオリヴィエの顔色が変わった。

「これ…なの?。そう…。」

「あの、オリヴィエのではないですか?。」

「違うわよ。私のじゃないわ、他をあたってよ。」

シュンとして行きかけたリュミエールをオリヴィエは呼び止めた。

「そーだ。私も、これ拾ったのよ。どうせ皆に聞いてまわるんでしょう?

ついでにルヴァに渡しといて。」

オリヴィエから渡されたのはルーペだった。

「はい、確かに。」

オリヴィエはヒラヒラ手を振ってリュミエールが去って行くのを見送った。

「まぁ、ルヴァなら手伝ってくれるから…がんばってねー。」

オリヴィエの額からはアセが一筋ながれていた。

 

ルヴァはリュミエールが持ってきたルーペを見ると

いつもニコヤカな顔に、いっそうの笑みを浮かべて迎えてくれた。

「あー、見つけてくれたんですかぁ。うれしいですねぇ。」

「これを見つけてくれたのはオリヴィエなのです。私はお預かりしただけで…。」

「そーですかー。後でお礼を言っておかないといけませんねー。」

すでに茶器を出しはじめたルヴァをリュミエールは慌てておしとどめる。

「ルヴァ様。私は今、これの落し主を探しているのですが。」

ルヴァはあちこち観察していたが、やがてため息をついて顔をあげた。

「誰かの執務室で見たような気がするのですがねぇ。

役に立てなくて申し訳ないですねー。」

「いえ、私こそ突然このような事をお聞きして申し訳ありません。

でも落とした方は、さぞ困ってらっしゃるだろうと思うと…いても立ってもいられなくて。」

ルヴァはウンウンと頷くとニッコリ笑った。

「リュミエールらしいですねぇ。落とした人がいないか私も皆に聞いてみましょう。」

「ルヴァ様。有り難うございます。でも、お手を煩わせるのは…。」

「いーんですよ。私もルーペを持ってきていただいたお礼がしたいですし。」

ルヴァはリュミエールと皆の執務室をあたることにした。

まずは下の階、残るマルセルとゼフェルの部屋にむかった。

 

「あー。マルセルいますか?」

返事に扉を開けるとマルセルはランディ・ゼフェルと話している最中だった。

「あー、ちょうどいいですねぇ。実はあなた達に聞きたい事があったのですー。」

「なんだよ。さっさっと言えよ。」

「ゼフェル、そんな言い方ないだろう。ルヴァ様に失礼じゃないか。」

「んだとー!ランディ。やるのか、てめー!」

「2人ともやめてよー。」

マルセルが止めに入るがランディとゼフェルはケンカモードで睨み合っている。

いまにも殴り合いになりそうな場面に、柔らかな物腰で落とし物を手に現れたのは水の守護聖だった。

「申し訳ありません。楽しい一時のお邪魔をしてしまったようですね。

この落とし物を落とした方に届けたくて探していたものですから

たいへん不躾なことをしてしまって本当にすいませんでした。」

「いや、気にすんなよ。た…たんなるレクリエーションだからよ。な…なぁ、ランディ?。」

「も…もちろんさ。お…俺達、仲良しですから。」

リュミエールが手にしている落とし物を目にして

2人の声はうわずり目は、それからそらすことが出来ない。

マルセルはといえばポカンと口を開けて固まったままになっていた。

「あー?これは、あなた方のじゃないですか?。」

3人揃ってプルプルと首を振る。

ルヴァとリュミエールがガッカリしてマルセルの部屋を出ようとすると

ルヴァの衣のスソに3人がすがりついてきた。

「あー?、どうしました3人とも?。」

「ルヴァ様とお話したいのではないでしょうか?。」

リュミエールが言うと、声も無いままガクガク頷く。

「後はオスカーとジュリアス様・クラヴィス様ですから私ひとりで大丈夫です。

どうか3人とお話して下さい。」

「あー、すみませんねぇ。じゃあ、お茶でも飲みながら話してますから

後であなたも来て下さいねー。」

リュミエールは再び一人になって2階へあがっていった。

 

「あんなに、お話したがるなんてルヴァ様はとても好かれているのですね。」

嬉しそうに階段を上がり終えるとオスカーの執務室の扉を叩いた。

返事が無い。

どうしたものかと迷っていると女官が通りかかってジュリアス様に呼び出されたのだと教えてくれた。

随分な剣幕で呼び出されたと聞きリュミエールは先にクラヴィスの執務室へむかった。

何か問題が生じている時に、落とし物を訪ねに伺うのは気がひけたのだった。

 

クラヴィスはジッと水晶球を覗き込んでいた。

リュミエールが訪ねてきても顔をあげようとしない。

ただ一言「それは私には関係ないな。」と呟くように言ったきり目を閉じてしまった。

リュミエールが申し分けなさそうに頭を下げ、部屋から出ようとすると初めて薄く笑って言った。

「ジュリアスに持っていってやるといいだろう。それはあれのものだ。

随分と探し回っているようだ。」

リュミエールが嬉しそうに顔を輝かせ礼を言うと

クラヴィスはフイと横をむいてしまった。

しかし、なぜかその面にはイタズラっぽい笑みがうかんでいた。

 

リュミエールがジュリアスの執務室の扉を叩くと返事があって、オスカーが扉を開けた。

「よう、水の守護聖殿。何か用なのか?いま取り込み中なんだ。急ぎじゃなきゃ後にしてくれ。」

「お探しの落とし物を届けに来ました。これが無くて困っておいでなのでしょう?。」

リュミエールが落とし物をオスカーに手渡すと、炎の守護聖はグラリとよろめいた。

「お前が拾ったのか?これを!。」ダラダラと冷や汗が流れる。

ゆっくりとジュリアスも近づいてきた。

「どこで拾ったのだ?。」

「森の花畑の入り口近くです。」

ジュリアスは天を仰いだ。

「遠目だったせいで下草に隠れて何につまずいたかまで見えなかったのだ。

それだったのだな?。我ながら不覚としか言いようがないな。」

リュミエールは困ったように首を傾げた。

「御覧になっていらっしゃったのですか?お恥ずかしいところを見せて申し訳ありません。」

ジュリアスは常に無い優しい笑顔をみせた。

「いや。それより足は大丈夫なのだろうな?随分とひどく転んでいたが。」

言われたとたん、リュミエールは固まってしまった。

「わ…忘れておりました。」

慌てて足首を確かめてみて、思いっきり貼れあがってしまっているのを見ても

さすがのジュリアスも怒ることが出来なかった。

落し主を思うあまり頑張りすぎてしまったのである。

まして落し主は自分なのだから。

ダラダラ冷や汗を流しつづける炎の守護聖をチラリと見てジュリアスは言った。

「まあ、よい。だがくれぐれも無理はしないように。」

 

リュミエールが足首にシップをしてルヴァのお茶会に行くと

そこは妙にシーンとしていた。

ルヴァの声だけが聞こえる。

「まぁ、確かに非力なのですけれど人の為と思うと、

とんでもない事を軽々としてしまうところがありますからね。」

「何のお話ですか?。随分、熱心に聞き入ってるのですね。」

背後から声をかけると、3人は悲鳴と共に飛び上がりオバケでも見たような顔でふりかえる。

「あー、リュミエール。落し主に届けられたようですねー。

よかったですねー。」

「はい。おかげさまで。」

2人はにこやかに微笑みあった。

 

そのころジュリアスの執務室では荷崩れで行方不明だった執務机が整えられ

ジュリアスが感慨深げに座っていた。

お…おしまいよっ…。

**** 水鳴琴の庭 銀の弦 ****