「日本棋院怪談」
ヒカルは日本棋院に来ていた。
日本棋院主催少年オバケンジャー隊選抜大会は先の話しだが
聞いたところによると院生になって同じ目的の者達と切磋琢磨することが
出来ると聞いてやってきたのだ。
塔矢アキラは来なかった。
自分が入るとレベルが違いすぎて皆のやる気がそがれるからという
塔矢アキラ以外が言ったら思い上がりも甚だしい理由だがヒカルは心底ホッとした。
いればヒカルも回りも巻き込まれて大騒ぎになるのは目に見えているからだ。
ちなみに佐為も置いてきた。オバケ憑きということで特別視されたくなかったのだ。
それでも佐為とアキラに鍛えられたヒカルは軽く院生試験を合格して
院生達と顔合わせをすることになった。
ここまで来たのが自分の実力だと思うと気分がいいし、
部屋に通されると皆の顔も親しげで明るい展開が期待出来そうだ。
同じ歳くらいのツンツンした髪の少年が駆け寄ってきた。
「新入りか?オレは和谷。お前は?」
年かさの落ち着いた雰囲気の青年が和谷の頭をポンと叩いて嗜めた。
「初めまして、だろ?和谷。オレは伊角だ。よろしく。驚かせてごめんな。」
ううんとヒカルは首を振ると胸を張って答えた。
「オレ、進藤ヒカル。よろし…」
そこまで言った時、二人の顔が凍りついたのをヒカルは見た。
親しげに近寄って来ようとしていた回りの人間がざわめいて後ずさりした。
そんなにオレって名前知られていたっけ?ヒカルが首を傾げようとしたとき
自分の背後の影が動いた。
驚いて振り返ると影と思ったのは塔矢アキラだった。
「塔矢アキラだ!」「塔矢行洋の息子の…」
「ぬるすぎて、どこの大会にも出てこないんだってさ…」
ざわざわと動揺する周囲を他所にアキラは平静な顔で言った。
「彼は進藤ヒカルです。最高位の囲碁オバケ佐為様が憑いているボクのライバルです。
皆さん、
ボクのライバルをどうぞよろしくお願いします。」じゃあと、にこやかに笑って皆が呆然としている間にアキラは消えてしまった。
ヒカルは広い和室の真中にポツリと取り残された。
皆、ヒカルから離れて青い顔で、こちらを伺いながらヒソヒソと話している。
これがイヤだから一人で来たかったのに…ヒカルはガックリと膝をついた。
「ほらほら…ガッカリしてるみたい。私たち相手じゃ物足りないのね。」
そんな声も聞こえる。何をやっても裏目にとられそうでヒカルは心底悲しかった。
「ねーねー。進藤くん。ボクと打たない?」
顔を上げると年下らしい少年がニコニコしながら細い目をさらに細めていた。
「ボク、福井雄太。フクだよ。」
ヒカルの返事を待たずに碁盤と碁笥を持ってくる。
救われた気持ちでフクと対局を始めると間合いがいいというか気持ちよく石が決まった。
「進藤くん、強いね。でもボクも負けないよー。」
賑やかな対局が興味をひいたのか。離れて見ていた皆がよって来た。
「なーんだ!塔矢のライバルっていうからびびったけど。フクといい勝負なのね。」
「進藤、それ悪手。」
「フクもな。」
わいわいと声がかかる。
あまりの賑やかさに篠田院生師範がやってきた。
「おや?顔合わせだけのつもりだったのに打っていたのかね。早く帰らないとオバケが出るぞ。」
結局、ヒカルの中押し勝ちで終わり碁石が慌しく片付けられる。
勝利の余韻に浸りたかったヒカルは口を尖らせた。
「ちぇ!オバケが怖いのかよ?オレ憑かれてるけどオバケって怖くないんだぜ。」
奈瀬の可愛い笑い声が応えた。
「違うわよ。この座敷にいるオバケのために場所を空けるの。」
「そーそー。ここに住み着いていてくれるから棋院は栄えてるって言われてんだ。」
和谷が偉そうに胸を反らせて説明するのを聞いてヒカルは不思議に思った。
「オバケって人に憑くものじゃないのか?部屋なんかにも憑くの?」
「地方によって座敷ワラシとかって呼ばれるものらしいよ。
誰もいないのに碁を打つ音が聞こえたり、人数が奇数なのに対局で誰もあぶれなかったり
対局し終わって気がつくと座布団が裏返っていたり不思議なことをおこすんだ。」
伊角の説明を聞きながら1階に下りて、ふとヒカルは思った。
(
さっきの対局、佐為のヤツに話してやろう。オレにしてはイイ出来だったもんな。)ヒカルの足が意志に反して止まった。
(
えーと?誰と打ったんだっけ?あぁ、和谷と…かな?)皆に手を振るとヒカルは跳ねるような足取りで棋院を後にした。
棋院の階段の上から小さな影がヒカルを見送っていた。
棋院の前の道を駅に向かっているとピョコンと出てきた女の子と鉢合わせした。
少女はニッコリ笑うと言った。
「ねーねー。院生になったんでしょ。お祝いに奢って。」
コイツ誰なんだ?なんでオレが院生になったって知っているんだ?
お祝いってオレがしてもらう方だろう?
そう思って我に返るとケーキ屋の前でサイフを手に立っていた。
やけに軽い気がしてサイフを覗くと、きっかり1000円ない。
ケーキ屋のショーウィンドウを見ると奥の女性が微笑んで頭を下げた。
ショートケーキを2つ買って少女に手渡し、
あの女性にありがとうございますと言われた記憶がある。
なぜ?いつの間に?どうして買ってやったのか?いくら考えてもわからない。
だいたい、あの子は誰だったのか。
ヒカルが頭を抱えて歩いていると、
さっき分れたばかりの和谷がサイフを手にジューススタンドの前でつったっていた。
おかしなヤツと思いながらポンと肩を叩くと和谷は絶叫した。
「わぁぁぁぁぁ!また、やられたー!オレ、今月もう金ねぇんだぞー!」
「どうしたんだよ?何かあったのか?」
ヒカルが驚いて訊ねると和谷は大泣きしながらヒカルにすがりついた。
「さっき、オレがお世話になっている森下師匠のとこの娘のしげ子ちゃんに会ったんだ!
あの子に奢ってって言われると、いつもいつの間にか奢っちまってるんだー!
見ろよー!500円足んないぜ!特上生メロンジュースLだー!やられたー!」
泣き崩れる和谷の話を聞きながらヒカルはどこかで同じようなことを見聞きした気がした。
が、定かには思い出せない。
「なぁ、進藤。お金貸してくれよ。」
和谷の哀願にサイフを開くと、今朝がた母親からもらったお金が交通費を差し引いても足りない。
(
あれ?おやつにラーメン食べたっけ?)和谷もヒカルのサイフを覗き込んだ。
「なんだ。お前も買い食いしちまったのか?」
しかたないなーと二人は顔を見合わせて苦笑いした。
お互い育ち盛りだからとはいえ買い食いは、ほどほどにしておこうぜーと手を振ってわかれた。
何か説明できない違和感があったが気のせいだろうとヒカルは
そう思った。
佐為を迎えに塔矢行洋の碁会所へ行くと相変わらず熱心に碁を打つ
行洋と佐為の姿があった。
白熱の対局に碁会所の客は碁石を打つのも忘れて見入っている。
碁を打ちに来たのか、ギャラリーに来たのかわからない状態だ。
しかしヒカルも例外でなく思わず終局まで見惚れてしまった。
気がつくと握り拳に汗をかいていた。
勝った佐為はヒカルが来ていたのに気がつくと嬉しそうに小さな体で駆けてきた。
「ヒカル!その分では院生試験受かったみたいですね。」
きゃわきゃわ喜んで跳ね回る。
うんうん、と頷きながらヒカルは今日感じた違和感を思い出した。
「あのなぁ、イイ対局だったのに相手が思い出せないとか
知らないうちに買い食いしていたなんてことあるかなぁ?」
ビタリっと佐為が固まった。
冷や汗が額を流れる。
「さ…さぁ…?聞いたことありませんね。」
ヒカルが見つめると目をそらして汗が滝のように流れる。
ヒカルは佐為を抱え上げると正面を向かせた。
「何か隠してるだろう?」
ジタバタと慌てふためく佐為に詰め寄ると横から手が出て遮られた。
「進藤!自分の記憶力の悪さを人のせいにするな!」
塔矢アキラだった。
「また涌いて出たな!お前のおかげでヒドイ目にあったんだぞ!
お前なんかがライバルだとか言うから皆に白い目で見られて。」
わたわたと佐為がヒカルを宥める。
「違いますよ。アキラはヒカルが心配で見に行ったんですよ。
彼に悪気はないんです。」
「ボクの行動が迷惑だったのか?」
塔矢アキラは目を見開いて驚いていた。
「当たり前だろう!お前ただでさえ反感買いやすいのに…」
蒼白になってしまったアキラにヒカルは言葉を失った。
「ボクの思いやりが仇となっていたなんて…」
膝をついてしまったアキラにヒカルは言葉が過ぎたことを知った。
背後では市河さんがお盆を手に立っている。
お盆の影の右手には包丁の柄が握られている気がするのは気のせいではないようだ。
「いや、オレも言い過ぎたよ。そうだよな、悪気はないんだもんな。
そ…そうじゃなくて、オレが悪かったんだー!お前にせいにしてゴメン。」
市河さんの怒りのオーラにはアキラの絶対零度を上まる恐怖があった。
慌てて不条理な詫びを言いながらヒカルはアキラに手を貸して立たせた。
アキラはニッコリ微笑んだ。
「いや、わかってくれればいいんだ。赦してあげるよ。」
ヒカルは、はらわたが煮えくり返る思いだったが命には代えられなかった。
塔矢行洋が気の毒そうにヒカルに声をかけた。
「すまないな。いつもアキラが迷惑をかけて。」
わかってるなら何とかして欲しい。
切に思いながらヒカルは内心を偽る思いっきりヤケクソな笑顔でいえいえと首をふった。
「さっきの話しだが、私も聞いたことがあるよ。
日本棋院は別名日本オバケ棋院とも言われていてね。不思議な体験をすることがあるらしい。
院生上がりのプロ棋士は皆同じ名前の院生仲間がいたが顔が思い出せないとかね。
そのせいじゃないのかね?」
不思議な話しだがヒカルにはアキラの行動の方が怪談だった。
とりあえず納得したヒカルの頭の上で佐為はホッと安堵の色を浮かべていた。
つづく
H
16.10/15 水色真珠次回予告
日本棋院主催少年オバケンジャー隊選抜大会に向けて特訓を始めるヒカル。
それを阻む黒い影…果たしてヒカルは少年オバケンジャー隊に入ることが出来るのでしょうか?!