弱者と強者のディスタンス

 

無事に東京へ帰ってきたヒカルは、しばらく熱中症で寝込んだ。

その看病を甲斐甲斐しくしたのは佐為だった。

手ぬぐいを絞って額にのせたり

おかゆを作って食べさせてくれた。

ただ…気持ちはありがたいが、そういう時に限って

小さいままだったりして、手ぬぐいも切手サイズ

おかゆも小匙一杯分という使えなさ炸裂で

ヒカルを大いに脱力させた。

唯一、役立ったのは佐為はオバケのせいかヒンヤリしているので

氷嚢代わりに頭に乗せておくと気持ちいいことくらいだった。

季節も暑くなってきた時期でもありヒカルは

治ってからも佐為を抱き歩くようになった。

 

久しぶりに塔矢名人の碁会所を訪れ、塔矢アキラと碁を打っていると

アキラの様子がおかしいことにヒカルは気がついた。

盤面は断然アキラ優勢なのに苛立っている。

ヒカルを見る目は険悪この上ない。

後では佐為と打ちたいのか塔矢名人が膝に座って甘えている明子に

煎れてもらったお茶を飲みながら様子を伺っているが

息子の針のたったハリネズミ状態のオーラに声をかけかねている。

「なぁ…」

いたたまれずヒカルが口を開くと、

盤面を見つめていたアキラは刃の切っ先のような視線を上げた。

「なんだ進藤。」

口では”なんだ”といいながら口調は問答無用だった。

ヒカルが言葉を続けていないのにアキラの視線も盤面に戻ってしまう。

ヒカルは何も言えずに膝の上の佐為を抱きしめると心の中で話し掛けた。

”なぁ…塔矢のやつ、どうしたんだと思う?”

”はぁ?何がですか?”

だが、この囲碁オバケは盤面しか見ていなかったようだ。

ヒカルがガックリうな垂れた時だった。

「おっはよーございまーす!」

とんでもなく明るい場違いな声が碁会所に響き渡った。

いうまでもなく芦原弘幸その人だった。

塔矢名人と明子にペコと頭を下げると、対局中で

しかもハリネズミオーラバリバリのアキラの頭をくしゃくしゃとなでまわす。

「よぉ!いい友達が出来てよかったなぁ、アキラ。」

アキラはボサボサにされた髪を無表情なまま直しながら芦原には目も向けない。

「進藤はライバルです。友達なのは芦原さんでしょう。」

そんな兄弟子に対するとは思えない失礼な言葉にも、うんうんと嬉しそうに頷いて、

大笑いする芦原の声にアキラのこめかみに怒り皺ができる。

その無神経さに思わずヒカルは心の中で悲鳴をあげた。

”やめてくれ〜当たられるのはオレなんだぞ〜!”

案の定キッと音がしそうなアキラの眼差しがヒカルに向けられる。

「早く打ってくれないか。」

抑揚のない言い方が、とんでもなく怖い。

芦原はニコニコしながら机の側のイスに座り込むとアキラの手を誉めた。

「う〜ん、ここスゴイなぁ。進藤くん、かなりこれで苦しいでしょ。」

”ひゃ〜、もうやめてくれ〜”

芦原に通じるわけがないが悲痛な叫びをあげずにいられない。

「芦原さんじゃ思いつかないでしょうからね。」

”ぎゃ〜、塔矢ってば芦原さんの扱いがこえ〜よ〜”

ヒカルにしてみれば、アキラと芦原のやり取りは常識の範疇外だ。

「うんうん、そうなんだよな〜♪」

焦りまくるヒカルにぎゅうぎゅう抱き締められて

目を回していた佐為が突然言った。

”あぁ!そうです。ヒカル、この間の国語の時間に教わった

暖簾に腕押しぬかに釘って、こういうことなんですよ。”

そんなことをわかってもヒカルは、ちっとも嬉しくなかった。

とりあえず、そろそろ終局が見えてきたしと投了したときだった。

「よいっしょっと。」

芦原の突然の行動に全員が真っ白になった。

芦原はアキラを自分の膝の上に抱き上げてしまったのだ。

みんな呆然として声も出ない。

もちろん当のアキラもハリネズミオーラどころではない。

芦原だけがのほほんとしていて、のんびりと言った。

「アキラ重くなったな〜、一年生の頃は軽かったのにな〜。」

ハッと我に返ってアキラはエルボースマッシュを

かまして芦原の膝から立ち上がる。

「何するんですか…」

小学6年ともなれば幼児ではない。当然、怒る。

しかもアキラの怒りは絶対零度だ。

碁会所の室温計が凍り付いて派手な音をたてて割れた。

だが、芦原は鈍感なのか顔こそアキラのエルボーで腫れていたが

その回りは常春。

「だってアキラ寂しかったんだろ。」

みんなが、また何をバカなことを言い出すのかと凍りついた瞬間

アキラだけが耳まで真っ赤になった。

金魚のように口をパクパクさせるだけで言葉が出ない。

それは図星というより、あんまりにも恥ずかしいことをいわれて

対処できないという感じだった。

芦原だけが勝手にひとりでウンウンと頷いて

「先生には明子さん、進藤くんにも佐為さんがいるもんなぁ。

みんな膝に抱っこされてて仲良しなんだもんな。

アキラ、さびしくなっちゃうよな。」

納得している。

「あっ…そーだ!アキラいっそオレに憑かないか?

この間みたいな料理またつくってやるよ。」

ヒカルはアキラの体からブリザードが噴出すのが見えた気がした。

「オバケハーフのボクは人に憑いたりできません。

それに芦原さん、憑いてなくても料理作りに来るじゃないですか。

靴磨きだってカバン持ちだってしてくれますよね。」

顔だけはニッコリ笑っているが目は思いっきり冷たい。

「ハハハハハ、こりゃあ参った!そーか。今と変わらないな〜。」

頭を掻きながら笑う芦原を無視してアキラは碁石を片付けだす。

ヒカルは囲碁オバケのクセに忘れていて、オバケハーフのアキラに

憑けなんていう芦原のマヌケさに脱力せずにいられなかった。

「お母さん、お茶を出していただけませんか。」

今日は、よほど機嫌が悪いのか母にまで命令口調だ。

そして自分は何やら大きな箱を取り出すと机の上に広げだした。

「上野まで行ったのでうさぎやでお菓子を買ってきたんです。

あそこは、どらやきが有名ですけど佐為さんはうさぎまんじゅうの方が

お好きかなって思って、うさぎまんじゅうを買ってきました。」

打って変わってにこやかな様子のアキラが恭しく佐為に差し出した箱には

きゅうきゅうに白いうさぎまんじゅうが詰まっていて

愛らしい目で見上げている。

「きゃ〜♪嬉しいです〜♪」

佐為がヒカルの腕から離れておまんじゅうにとびつくと

アキラは父に頭を撫でられたかのように嬉しそうに顔を赤らめる。

明子も物欲しそうな目で見るが行洋が、

すかさず懐からキティちゃん焼きを取り出すと

そちらに飛びついた。

うさぎまんじゅうをぱくつく佐為をうっとりと見つめるアキラに

ヒカルはひらめくものがあった。

”まてよ!この間のイチゴ狩りだってさんざんだったし

オバケ憑きの苦労をあんなに力説したり

もしかして佐為とオレを引き離すための策略だったりして?!

塔矢の奴、本当は佐為に憑いてもらいたいんじゃないのか?

塔矢なら囲碁オバケがいたら憑いてもらいたいだろうし

でも、そこらへんにゴロゴロいるもんじゃないし…

あまっている囲碁オバケがいなくて一人は親父さんに憑いているなら

オレから佐為をとるしか憑いてもらう手はないわけだし…。

でも今日なんかオレ、佐為を抱っこしながら打ってたりして

仲良さげだったから機嫌が悪かったのかも…”

ただの疑心暗鬼かもしれないが、なにしろヒカルにとってアキラは

わけわからないこと、この上ない相手だ。

いざとなったら芦原も囲碁オバケだとバラそうかと思ったが

たとえ他人に憑いてるオバケでも佐為と芦原だったら

佐為のほうが良いに決まってと気がついてやめた。そして、

油断しないで自分も今度はポケモン饅頭でも買っておこうと心に誓った。

「なぁ、なぁ、アキラ〜」

せっかく穏やかになったアキラの肩を芦原がつつく。

振り向くアキラの顔は途端に永久氷壁だ。

「アキラ〜、オレには何かないの?」

そういうものだと刷り込まれてきたのか

下僕のクセに厚かましいにもほどがあると呆れたヒカルだったが

アキラは小さな箱を芦原の顔面にグリグリと押し付けた。

そしてプイと向き直ると全て忘れた様子で、また嬉しそうに佐為を眺めだす。

まさか何か用意してるとは思わなかったのでヒカルは

葬式饅頭だろうか等と不謹慎なことを考えながら

芦原が嬉しそうに開ける箱を横から覗き込んだ。

箱には舟和と書いてあって、あんこだまが白黒ひとつづつ入っていた。

”わざわざ違う店で買って来ておいたのか?

しかも、あんこだまなのにひとつづつって最小単位じゃん。”

好意なのか悪意なのか計りかねる行為だった。

「あ…!オレの好物だ〜舟和の美味しいんだよね〜。」

芦原は嬉しそうに頬張って、ふと横にいるヒカルに気がついた。

「進藤くんも食べる?」

物欲しそうに見えたのかと慌てて辞退すると目の端でアキラが

殺気を含んだ眼差しで冷たく睨んでいたのに気がついた。

ヒカルが辞退すると、また佐為を幸せそうに夢中で見つめるアキラに

もうヒカルは頭がおかしくなりそうだった。

疲れてイスにもたれてお茶を飲んでいたヒカルに

あんこだらけの佐為がおまんじゅうを持ってきた。

「ヒカル〜美味しいです〜ヒカルも食べてください〜。」

さっきのアキラの目を思い出して慌てていらないと言うと

佐為は目をうるうるとうるませた。

「ヒカル、おまんじゅう嫌いなんですか〜?」

「そんなわけないですよ、ほら。」

アキラはニッコリ笑って、無理やりヒカルの口にまんじゅうを押し込んだ。

ヒカルは喉に詰まりそうになりながら、なんとか飲み込む。

「なにすんだ!窒息死したらどうするんだよ!」

アキラはしらっとしている。

「君こそ、なにしているんだ。オバケ憑きのクセに

オバケを泣かせて良いと思っているのか?!」

そう言われるとヒカルも言い返せない、

しおしおと佐為のために明子にお茶のお代わりをもらいに行く。

うなだれたヒカルの様子に明子が心配して声をかけた。

「どうしたのかしら?元気がないのね?」

ヒカルには、なんでもないですと溜め息混じりに

答えることしかできなかった。が、明子は意外なことを話し始めた。

「そういえば思い出すわ。早いものね。

アキラさんが芦原さんを拾ってきたのは、幼稚園の頃だったのに…。」

「拾ってきたって!それじゃあオバケ憑き契約をしたんじゃないですか!」

ヒカルが驚いて問うと明子は困ったように笑った。

「でもね…オバケ憑き契約したと言っていいのかどうか…。

だって、道にゴミが落ちていたので捨てておきましたって

アキラさんが言うから見たら、生ゴミのポリバケツに入っていたんですもの

…芦原さんが。」

ヒカルには、もうなにもコメントすることができなかった。

 

つづく

15.5/17 水色真珠

次回予告

さ…最強はどっちだ〜?!(^-^;)

私の好きな芦原さんに活躍(?)して頂きました〜♪

次回は、そろそろ中学生にと考えています〜(*^-^*)