博多とよのか殺人的事件
(後編)棋士は見た!ビニールハウスに隠された半透明な秘密
切り立った崖のようなビニールハウスの間の道を
ヒカルはジリジリとよじ登っていった。
さすが体操服、動きにくそうな羽織袴の塔矢行洋が
すぐに見えてきた。
羽織だけでも脱げばいいのにと思うが、
ヒカルにも他人を助ける余裕はない。
ただひたすら指がかかるところを探りながら体を上へと持ち上げる。
ふと気がつくと塔矢行洋は崖にへばりついたまま動かなくなっていた。
横を通る時に声をかけてみたが返事がない、羽織のせいで
干からびたカエルちっくな姿にヒカルは心の中で合掌すると振り返ることなく
さらに上へと登り始めた。
”塔矢先生、きっとオレが先生の代わりに、あの高みに辿り着いてみせます”
消耗しないためにも泣いてはいけない、ヒカルは歯をくいしばった。
それでも、一瞬でも気を抜けば転がり落ちてしまいそうな絶壁
腕が痺れ指の力も疲れで緩んでくる。
緊張から喉が渇いてくる、頭が朦朧として体が動かない。
霞んだ視界に、何か小さなものが転がり落ちるように向かってくるのが見えた。
”落石かな…よけられない…もうダメかも、オレ”
小さいものはポンと跳ねるとヒカルの眼前で止まった。
「ヒカル〜大丈夫ですか〜?」
うるうる目を潤ませた佐為が小さな手には余る大きな苺を抱えていた。
「苺食べてください。美味しいです。元気が出ますよ。」
佐為にもらった苺は今まで食べたこともないくらい甘く美味しかった。
ヒカルが食べたのを見ると佐為は、ふわふわと飛んで行って
また苺をひとつ抱えて一生懸命走ってくる。
いくつか食べて元気が出てきたヒカルは当然至極な疑問を口にした。
「なぁ、なんで苺持っている時は飛ばないんだ?」
佐為は何を言われたのかわからないといった表情でキョトンとした。
「だって苺、重いんですよ〜飛べません。」
たしかに持っているだけで重そうだし汗だくだ。
「大きくなれば重くないだろう。」
佐為の額を今までとは違う冷や汗がひとすじ流れ一気にパニックする。
「あぁ〜そうでした〜!」
千年もオバケしてるくせに気がつかないのか…
ヒカルは呆れつつも、温かい嬉しい気持ちに包まれていた。
だが佐為が大きくなって苺を抱えてきた時
ヒカルの指摘には難点があったことが発覚した。
「ヒカル〜!」
苺をたくさん抱えて嬉しそうに下りてきた佐為はヒカルの前で降りた途端
石につまづいてゴロゴロと下まで転がって行ってしまった。
囲碁以外では、とことん使えないオバケであることを忘れていたことが
失着であった。
オバケであるおかげでケガなどなく、ふわふわ飛んで帰って来た佐為だったが
「ヒ…ヒカル〜」
潰れた苺まみれの佐為はオカルトちっくで少し怖い。
「だ…大丈夫か…?」と言いつつ逃げてしまうヒカル。
だが本人は気にする節もなく嬉しそうにヒカルに抱きついてくる。
「いいこと考えました〜ヒカルを連れて飛んで上に行っちゃえばいいんです♪」
早く思いつけよと心の中で突っ込みを入れつつ
瞬間的には感心したヒカルだったが、すぐ後悔した。
佐為は途中にビニールハウスがあろうが、杭があろうが、木があろうが
かまわず飛んでいく。オバケだから気にしないのだ。
だがヒカルにしてみれば、たまったものではない。
佐為とくっついたおかげで自分も潰れた苺まみれになるし
擦り傷だらけだ。
上についた時には、すっかりヘロヘロだった。
「ヒカル〜♪」
しかし悪びれた様子もなく再び苺を運んでくる小さくなった佐為。
微笑ましく思っている自分に泣けてくるヒカルだった。
「あら?ヒカルくん。」
小さな明子が葉陰から顔を出した。手には大きな苺を抱えている。
「行洋さんは、一緒じゃないの?」
ヒカルは言葉に詰まった。
まさか途中で干からびたカエルになっていますとも見捨ててきましたも
言い難かったからだが…。
「行洋さんと一緒に苺を食べたかったのに。」
明子が寂しそうにポツンと呟いた時だった。
「私なら、ここだ。」
そこにはボロボロになった行洋がいた。
息があがって髪が乱れ羽織袴も袖が取れたりズタボロだが思わずヒカルは
”カッコイイ”そう思った。
自分の力だけで上がって来たのだ。
ヒカルは行洋の器の大きさと不屈の闘志に
尊敬の念を抱かずにはいられなかった。
これが本当の男なんだ…思わず感動の涙が溢れる。
「きゃ〜♪行洋さ〜ん♪」
だが明子がポンと跳んで抱きつくと、
やはり行洋は赤くなって固まってしまった。
邪魔しちゃ悪いとビニールハウスに入って、
ヒカルは振り返って佐為を見た。
佐為はクリッと首を傾げてヒカルを見返す。
「なぁ…あの二人のせいかな?暑くないか?」
通風の悪さと晴天の天気の絶妙のバランスが
ビニールハウスを灼熱の地獄と感じさせる。
ジャージを脱いでも滝のように汗が流れ出る。
苺もジャムになる寸前のような生ぬるさ。
だがオバケである佐為は感じないようだ。
本来は直射日光や寒さから大切に苺を守るビニールハウスが
イチゴ狩りに来る人間も敵とみなして牙を剥いたとしかいいようがない。
ヒカルは恐怖を覚えてハウスから出ようとして硬直した。
半透明なビニールのおかげで気がつかなかったが
外では、さらに熱いラブラブいちゃいちゃが繰り広げられていた。
”ヤバイ!出たら確実に殺られる!”
こちらを見る明子の目が明らかに”邪魔しちゃダメよ♪”と
殺意を秘めて輝いていた。
進藤ヒカル、絶体絶命の危機だった。
「ヒカル〜見て見てです〜こんなに大きいイチゴですよ〜」
無邪気な佐為の声がハウスの奥からする。
その声にひかれるようにヒカルは佐為の方へ向かった。
”溺れる者は藁をも掴む”
だが、それによってよりいっそう窮地に陥るのは、良くある話だった。
「なぁ、オレ涼しくなりたいんだけどできないか?」
ダメもとで頼んだヒカルだったが、佐為はコックリ頷いて請合った。
「私に任せてください!」
佐為はオバケ力で碁盤と碁笥を出すとヒカルの前に置いた。
「どうすんだ、これ?なにかのおまじない???」
佐為はフルフルと首をふった。
「私と碁を打つんです。」
「なんで?」
「心胆さむからしめてあげましょう!」
ビニールハウスにヒカルの悲鳴が響き渡った。
そのころ、塔矢アキラはハンモックに寝転んで詰め碁の本を読みながら
イチゴジュースを飲んでいた。
夜は寝袋、昼は南国向けアロハのため快適この上ない。
ページ捲る手も否応なくはかどる。
しかし、響き渡った崖の上のビニールハウスからの奇怪な悲鳴が
この事件の終わりを告げた。
つづく
H
15.4/25 水色真珠次回予告
こうして絆を深めた
(?)ヒカルと佐為に次なる試練が襲い掛かる。オバケハーフであるがゆえに憑くことも憑かれることも
許されないアキラの苦悩
(???)が、芦原の能天気がヒカルを翻弄する。どうなっちゃうんでしょうね〜
(^-^;)