missing link     水色真珠

 

ヒカルは目を瞑った。

光に包まれているようで体はあたたかかった。

天国へ行くってこんな感じかと思った。

うーん、おしいなぁ。

オレ、後4ヶ月とちょっとで100歳なのになぁ。

でももう体が動かねぇし

たぶん息してないよなぁ。

塔矢のヤツも95で早死にしちまったし、

そろそろ年貢の納め時なのかぁ。

でも本因坊も最後の最後に塔矢のやつに取られちまったままだし、

神の一手も…あんなに極めて見せると約束したのにダメだった。

このままじゃ佐為に合わす顔がない。

もはや存在しない唇をかみしめた。

 

目の前が一層明るくなって

そっと目を開くと、魂が登っていくであろう蒼天に

黒い筋が描かれていた。

まるで碁盤の路のような縦と横の、

線の交わるところに手を触れると

それ以上あがれないことに気がついた。

なんだ、こりゃあ?

驚いて見上げる19路の向こうの蒼天は

薄暗い蔵の景色に変わっていた。

じいちゃんちの蔵じゃねぇか!

どうしてもとヒカルが言い張って

祖父が亡くなった後、

自分名義にして残しておいた蔵の2階

あの碁盤のある2階に間違えなかった。

なんで?!

オレは佐為のとこへ行くんじゃないのかよ!

ふと考えて行けない自分に気がついた。

そうか…オレ行けない。

あんなに誓ったのにダメだったんだ。

もっと出来ることはあったんじゃないか

出来る限りの努力はしただろうか?

いや、してない。まだぜんぜん足りない、何もかも!

そんな後悔ばかりが湧き上がり

実体の無い悔し涙がふわふわと浮き上がって

19路に染みを作った。

その時やっとヒカルは気がついた。

自分の居る場所が、あの碁盤の中であることに。

そうか、オレ碁盤の中から見上げているんだ、

あの時の佐為のように。

佐為も、こうして来る日も来る日も見上げていたんだろうか。

あの時まで。

自由自在に歩んでいた19路が

まるで今は鉄格子のようだった。

 

小さな足音が2つパタパタと階段を上がってきた。

思い出が実際に蘇ったようでヒカルの心は大きく揺れた。

「もう!勝手に着いてきて邪魔しないでよ」

聞き覚えのある声だった。

自分が死んだ時は小学校一年生で何もわからぬ様子で

退屈顔をしていた孫のアヤカだ。

しかし今のアヤカは小6くらい随分大きくなっている。

いつの間にか5年くらいたっていたのか?

ヒカルは驚きとともに感慨深かった。

昔のヒカルさながらの性格で

知っている者にはミニヒカルと言われていた。

自分の影響で囲碁を嗜む者が多い親戚うちでも

ただ一人ぜんぜん碁に興味を持たない珍しい子どもだったが…。

「知ってるでしょ。この間のテスト悪くって

おこづかいなしなのよ。この辺のもの売っぱらわないと

新しいゲーム買えないんだから!」

アヤカ〜!お前もか!!

自分もやったことなので叱れない、頭を抱えるのみだ。

せめて、この碁盤だけは止めてくれよと願うが…。

「あー、これなんかイイんじゃないかなー?」

アヤカの顔が碁盤をのぞきこんだ。

「じいちゃん、碁の偉い人だったらしいし

きっと高く売れるもん。」

アヤカー!!ヒカルの悲鳴も聞こえた様子もなく

明るい笑顔である。

その時、アヤカと同じ歳くらいの子どもの

よく通る清んだ声が聞こえた。

「止めた方がいいです。

この碁盤…泣いているみたいな染みがあるし

お爺様の大切なものだったんでしょう?」

その声にアヤカの頬がぷぅと膨れた。

「なにいってるのよ!染みなんてないじゃない!

そんなこと言って脅かそうとしてもダメよ。

アンタ、じいちゃんのファンだから、

なんとか止めさせようと思ってるんでしょ。

でも碁の強いアンタが、そう言うって事は

ますますお宝確実って事ね!」

ヒカルは驚きのあまり呟いた。

この染みが見えるのか?

アヤカとは違う声が答えた。

「見えるから言っているのです。あれ?今の声

アヤカちゃんじゃないですよね?」

夜空のように黒く星を纏うように輝く美しい長い髪が

キョロキョロと棚の間を探すように動くのが

アヤカの向こうに見えた。

「やーね、もともとボケだとは思っていたけど

そこまでボケだったの?何にも聞こえないじゃない

佐為ちゃんってば!」

黒髪が振り返って碁盤の向こうに顔が映った。

佐為!ヒカルは叫ばずにはいられなかった。

幼かったけれど、その顔は間違えなく佐為だったから。

その瞬間、碁盤をすり抜けてヒカルは

小さな子供達の前に立っていた。

孫のアヤカは気づいた様子もなく

ただ佐為だけが驚きに目を見開きながら見上げていた。

佐為!ただ懐かしくて嬉しくって愛しくて

抱きしめようとした瞬間

コトリと、どこかに落ちた感覚がした。

慌てて起き上がると、

そこが佐為の中であることがわかった。

あぁ…オレは、新しく生まれた佐為に、

自分の手で神の一手を極められるようになった佐為に、

今までの全てを受け渡すことが出来る…

自分で神の一手を極められなかった思いに苦しんでいた

ヒカルには、それは救いだった。

 

ガツ、何かに頭を殴られた気がして目を開けると

怖い顔をした塔矢アキラが拳を震わせていた。

なぜか頭が割れるように痛い。

「あれ?塔矢。お前95で死んだんじゃなかったけ?

随分、若い頃の格好で出てきたなぁ?」

塔矢の怒りのゲージが上がっていくのが

ヤカンの湯が沸騰するのを見るようによくわかった。

塔矢は立ち上がると激しく机に両手をつくと怒鳴った。

「ふざけるな!君はボクが長考中だと思って寝てたな!

だいたい最近の君はたるんでるぞ!

本因坊のタイトルをとられてから

オレは神の一手に届かないとか弱音ばかり吐いて!

つまらない夢を見てるヒマがあったら

最善の一手を探して頭を使え!」

そう怒鳴った塔矢の顔がなぜか佐為とだぶった。

あの夢は、そうなってはいけない未来だったのだ。

寂しさとともに気がついた。

頑張って死力を尽くして、それでも成し得なかったら

オレは碁盤にいた時もっと穏やかでいただろう。

こうして時が積み重なり、

神の一手への路が紡がれていくのだろうとか思って。

だけど、さっきの夢のオレは今のオレの姿そのまま

なすべきことをしなかったオレだ。

小さく心の中で佐為に謝るとヒカルは

まっすぐ顔を上げた。

「当たり前だ!いつまでも本因坊の座に

お前を座らせてなんかおかないぜ!

そして神の一手はオレが極めるんだ。必ずな!」

 

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終わり

 

missing linkが何かは、ここで説明するよりも

goo辞書機能とかで調べて頂けると味わい深いと思います。